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旧中山道六十九次 ぶらり徒歩の旅 42

各務原・三柿野〜52加納宿


作者 Hitosh



各務原


名鉄各務原線・三柿野



名鉄三柿野駅の側の鉄橋を渡る

川崎重工の大きな工場のあるところだ
そして写真の左一帯は航空自衛隊の岐阜基地である

時折、軍用機の発着の轟音が響いてくる道である


(岐阜県各務原市川崎町)



六軒一里塚跡



六軒一里塚跡碑(写真右)である
此の辺は、6軒の茶屋があったので、六軒茶屋と呼ばれていた

以前は松の木の多いところであったが、その面影は全く無くなっている


(岐阜県蘇原六軒町)



各務原・市民公園







さらに進むと、右手に各務原市役所、そしてし市民公園がある

この公園は広大で、歌壇が見事であった

傍らのベンチで、昼食を取った
途中のコンビニで買ったサンドイッチとお握りである


(岐阜県各務原市那珂門前町)



新加納一里塚/間の宿跡







各務原の市街地を抜けると、再び旧街道らしい道となった
2枚目の写真は、新加納の一里塚である
旧中山道は左の細い道である

この辺は、新加納と呼ばれる間の宿があったところだ


(岐阜県各務原市那珂新加納町)

金華山



間の宿・新加納を抜けると
右手に金華山が見えてきた

頂上には岐阜城が小さく見える

手前は名鉄各務原線である


(岐阜県各務原市那珂西浦町)

52加納宿

境川・高田橋





境川を渡ると、いよいよ岐阜市である
53番目の宿場・加納宿のあるところだ

正面の電車は名鉄各務原線で、この左に高田橋駅がある


(岐阜県岐阜市高田)



細畑/一里塚







名鉄の細畑駅付近である
金華山が大分近づいてきた

左右に1対の細畑一里塚が残されていた(下の写真)
そして頂上には榎が1本ずつ植えられている


(岐阜県岐阜市細畑)


伊勢道追分





旧中山道が右で、左は伊勢街道である(上の写真)
ここはその追分で、地蔵堂と石の道標がある

「伊勢名古屋ちかみち」と彫られていた

右の中山道を進むと正面に金華山(岐阜城)が大きく見えてきた


(岐阜県岐阜市領下)


領下/茶所駅/新荒田川







名鉄名古屋本線の茶所駅付近である
旧中山道が幾重もの桝形になっているところだ

美濃路唯一の城下町で、かなり厳重な町造りとなっている

新荒田川を渡ると、宿場の中心地となる


(岐阜県岐阜市加納柳町)

53加納宿/二文字屋







6回の桝形を曲がると、53番目の宿場加納宿の中心街となる

加納宿は本陣1、脇本陣1、旅籠屋31軒である
城下町で、宿場の長さも長く、約2kmもあった
総家数は天保14年(1843年)で805軒もあった

また、ここを左に曲ったところが
家康が築かせた加納城の大手門のあったところだ

下の写真の二文字屋は、もと旅籠屋である
元和6年(1620年)の創業と言う
今は高級料理店で懐石料理・加納宿料理が名物とのこと


(岐阜県岐阜市加納本町)


加納宿当分本陣跡/脇本陣跡





上の写真は当分本陣跡である
文久3年(1863年)から当分の間、補助的に置かれた本陣とのこと
その先に脇本陣跡がる

共に石碑のみであった


(岐阜県岐阜市加納上本町)


JR岐阜駅



加納宿の脇本陣、本陣跡を抜けると駅前の広い通りと交差する
右折するとJR岐阜駅である

今回は、ここで中断し岐阜駅に向かった

駅前のホテルを予約してあったが
まだ明るいので、駅前からタクシーで
金華山(岐阜城)に向かった


(岐阜県岐阜市加納栄町)
0702/0703


歩行略図

歩行距離 12.93km
(青線部を歩行)






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作者 Hitosh