旧山陰道 46
津和野町・後田〜津和野町・森村
津和野宿2
津和野町・後田
津和野宿・本町殿町を抜けるとがらりと様子が変わり、余所行きの町となる
かつての武家屋敷のあった処で
見事な白壁と掘り割りに泳ぐ鯉
小京都と呼ばれた津和野の代表的景観の一つである
(島根県鹿足群津和野町後田)
津和野藩校・養老館
津和野藩校養老館
8代藩主亀井矩賢(のりかた)が先代の遺志を受け継ぎ
天明6年(1786年)に創設した藩校で国学や蘭医学を教えた
(島根県鹿足群津和野町後田)
森鴎外遺言碑、養老館武道場
養老館の門を入ると正面にあるのが御書物庫で
その前に森鴎外の遺言碑(上写真)があった
森鴎外は津和野生まれで、この藩校で学んだとのこと
鴎外の父は津和野藩の藩医であった
鴎外の旧宅は今でも津和野に残されている
下の写真はかつての武道場(剣術、居合、柔術)で
今は津和野町民族資料館となっている
門を入って右側にある武道場(槍術)は図書館となっている
(島根県鹿足群津和野町後田)
多胡家老表門
津和野藩筆頭家老田胡家表門
三間一戸薬医(やくい)門となっている
薬医門とは、本柱の後方に控え柱2本を建て
切妻屋根を付けた門のことだ
正面中央の板浅戸と右川の潜戸(くぐりど)の二つの入口がある
その両脇が門番詰め所と物見となっている
(島根県鹿足群津和野町後田)
津和野川、鷺舞
津和野は青野山の麓の津和野川沿いに細く伸びた家並みが続く町である
街道を進むと再び津和野川袂に出る
大橋の袂に鷺(さぎ)舞の像があった
鷺舞は津和野川沿いの弥栄神社の祇園祭で奉納される舞である
(島根県鹿足群津和野町後田)
弥栄神社
津和野川を遡上すると右側(左岸)にある弥栄(やさか)神社
室町時代の創建と伝えられている
津和野城の鬼門を守るために建立されたという
ここで、7/20の御幸祭りと、7/27の還幸祭で鷺舞(国無民)が奉納される
なお、境内にある欅(上写真)は創建以来のものと推定され
津和野町の天然記念物に指定されている
(島根県鹿足群津和野町後田)
太鼓谷稲成神社
さらに津和野川を遡上すると右手に無数の赤い鳥居がある
太鼓谷稲成神社(たいこだにいなりじんじゃ)だ
日本五大稲荷の一つと言われている
安永2年(1773年)、7代藩主亀井矩貞が京都伏見稲荷を勧請したもの
この境内から津和野城跡へ上る道が続いている
(島根県鹿足群津和野町後田)
津和野川上流・城山
津和野川上流右側(左岸)の城山(367m)に津和野城址がある
吉見氏319年、坂崎出羽守16年、そして亀井氏11代225年も続いた典型的な山城である
坂崎出羽守は大阪夏の陣で、大阪城より家康の孫千姫を無事救い出した勇将で
近世の津和野城の基礎を作った武将でもあった
家康との約束であった、千姫を嫁に貰う件が反故になり
失意の内に自刃した
なお津和野城は三本松城、蕗城(ろじょう)とも呼ばれていた
今でも、石垣が多数残されている
(島根県鹿足群津和野町鷲原、後田)
津和野大橋、津和野郷土館
津和野川に架かる津和野大橋を渡ると左側に津和野町郷土館(下写真)がある
藩校養老館資料、津和野藩藩政資料、石見国絵図、津和野城下絵図等が展示されている
(島根県鹿足群津和野町森村)
大庄屋屋敷
街道左手に大庄屋屋敷
津和野藩筆頭庄屋弥重家の屋敷跡である
弥重家は元禄6年(1693年)、この地森村の庄屋に任じられ
幕末まで続いた旧家である
その屋敷を修復して、今は杜(もり)塾美術館として
津和野の生まれの画家中尾彰と、吉村麻耶の絵画を揃え展示している
正面に見えるガードはJR山口線である
SLやまぐち号がここを通り、津和野駅が終点となっている
お勧め撮影スポットは、津和野大橋界隈とのこと(参考)
この後、石見、周防の国境である野坂峠を越え
旧山陰道最後の宿場・山口宿に向かう
旧山陰道は、山口の後、山陽道の小郡宿で合流している
愈々、長かった山陰道も残り少なくなってきた
(島根県鹿足群津和野町森村)
0804/0807