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旧山陰道 1

久美浜湾〜久美浜駅




京丹後


久美浜町並み、長命寺







宮津より丹後半島を横断して、久美浜に来た

上の写真は丹後国宮津と但馬国豊岡を結ぶ旧街道である
旧街道の面影を残すところである

久美浜に入り、右側に長名寺があり、そのまま進むと
久美浜湾に出る

この久美浜は明治の初めには久美浜縣の県庁のあったところだ
因みに久美浜縣とは、丹後、但馬、丹波、播磨、美作の5ヶ国を管轄していた


(京都府京丹後市久美浜町)



久美浜湾







久美浜湾の眺望である
右側から左側までをパノラマ風に順に並べてみた

1枚目の写真は兜(かぶと)山(192m)、2枚目は正面に見える大明神岬
3枚目は久美谷川の河口の常夜灯である

この久美浜湾は砂州でほぼ閉ざされ、湖沼化しつつある湾(汽水湖)となっている


(京都府京丹後市久美浜)


豪商稲葉本家







街道に面して、一際目に付く家が地元の豪州稲葉本家の家である

初代稲葉喜兵衛は、織田信長の家臣団美濃三人衆の一人稲葉一鉄の一族とのこと

代々麹屋を生業としていたが
日本海沿岸の交易業掛屋や、幕府の公金預かり所ともなり
近隣諸藩の金融を独占する豪商となり、苗字帯刀を許されていたとか

稲葉家代々の名物ぼたもち(お茶とのセットで500円)を食べる
久美浜縣誕生を記念して、地域の人へ配ったのが始まりとのこと
甘みを抑えた上品な味であった

ぼたもちの右の写真は、今でも使用されている郵便ポストである
正しくは書状集箱で、明治4年の郵便創業当時のものと同じものとのこと


(京都府京丹後市久美浜)


町並み・西方寺







稲葉本家より南西に進む
タンゴ鉄道の久美浜駅前を通り
但馬の豊岡へ抜ける道(現国道178号へ合流)となっている


(京都府京丹後市久美浜)


タンゴ鉄道久美浜駅







久美浜駅舎(3枚目写真)は、久美浜県庁を模して作られたもので
立派な駅舎であった

駅前の建物も往時を偲ばせるものであった


(京都府京丹後市久美浜町)
0712/0801



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略 図

経路青線部












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