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旧山陰道 5

鳥取砂丘〜鳥取城




因幡


砂丘、裸婦と虹





翌朝、砂丘センターより、鳥取城下に向かう
その途中に砂で出来た大きな裸婦像があった

そして、何んと砂丘に虹が掛かっていた
感激の一瞬であった


(鳥取県鳥取市福部町)


多鯰ヶ池







多鯰ヶ池の麓に降りてみた
前回掲示の写真の反対側である

2艘の屋形舟が湖畔に上げられ朽ちていた


(鳥取県鳥取市浜坂)



砂丘トンネル、鳥取市街





砂丘トンネルを潜ると、鳥取市街が見えてきた

千代川河口付近に発達したかつての鳥取城城下町で
旧山陰道の京都より11番目の宿場である
また古代には因幡国府のあったところだ


(鳥取県鳥取市浜坂)


古戦場、八幡池





丘を下ると前方に久松山が見えてきた
鳥取城のあったところだ

上の写真は秀吉が3万の軍勢で鳥取城を包囲し
兵糧攻めをした時、この辺左側に陣を張ったと言う

下の写真は灌漑用の八幡池
鳥取城側の防衛陣地のあったところである


(鳥取県鳥取市丸山町)


久松山山麓





久松山沿いに進むと左側に
享保6年(1722年)、天保14年(1836年)に建立された
南無阿弥陀仏と彫られた石塔がある

共に、大凶作で死んだ領内の死者を弔ったもの
特に天保7年の大凶作では死者が2万人を越えたという


(鳥取県鳥取市丸山町)


久松公園、鳥取城址





鳥取城跡で、広い城内は久松(きゅうしょう)公園として整備されている


(鳥取県鳥取市)



鳥取城址二ノ丸、三ノ丸







鳥取城二ノ丸、三ノ丸跡である
見事な石垣であった


(鳥取県鳥取市)


鳥取城三階櫓跡





鳥取城二ノ丸の三階櫓と呼ばれていたところだ
本丸(天守)は久松山の頂上にあり、山上ノ丸と呼ばれていた

此処からの眺めは素晴らしかった

下の写真の左手間の洋館は仁風館である
鳥取藩池田家の別邸として建てられたもの
国指定の重要文化財に指定されている

大正天皇が皇太子の時、ここに宿舎したとのこと


(鳥取県鳥取市)

0712/0801


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