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旧山陰道 6

宝隆院〜鳥取駅




因幡


宝隆院庭園





仁風閣の裏手にある宝隆院庭園

この庭園は文久3年(1863年)、最後の鳥取藩主の池田慶徳が
若くして未亡人となった先代藩主慶栄の夫人宝隆院を
慰めるために造営した扇御殿の池庭であった

江戸末期の典型的な池泉庭園とのこと

此処を抜けると大手橋に出る


(鳥取県鳥取市)


大手橋





大手橋より濠を見た写真である

武道館の前に吉川経家の銅像があった
秀吉の大軍に包囲された時の守将である

生き地獄となった城内で、多くの人の命を
救うため秀吉に降伏し、自決した由

下右の写真は長田神社である

久松山東麓(城の東側)にある鳥取の産土神社で
古くから長田大明神として言われていた


(鳥取県鳥取市)



興禅寺





藩主池田家の菩提寺として開創

裏山には剣豪臼井本覚や渡辺数馬、猪多伊折佐等の墓がある

臼井本覚は藩きっての剣豪で、丹石流の実践兵法の達人
猪多伊折佐は新陰匹田流・刀槍二術を極め
渡部数馬は、荒木又右衛門と共に見事仇討ちに成功した武士であった

鳥取には、この他、荒木又右衛門や後藤又兵衛等の墓がある
如何にも、武芸の盛んなお国柄と言う感じだ


(鳥取県鳥取市)


大隣寺、完龍院







興禅寺より東側は寺が集中し
古い町並みが今でも残されているところだ

この辺一帯(馬場町)は、武家屋敷のあったところで
曲がりくねった狭い道が当時の面影を残している

1枚目の写真は大隣寺、3枚目は完龍院である
共に古くからの寺で、池田藩の家臣の墓が残されているとのこと


(鳥取県鳥取市馬場町)


末広温泉町、若桜通り







城下町の面影を残す町を抜け、駅前に向かう

旧城下町で山陰道11番目の宿場であったが
昭和18年の鳥取震災と続く昭和27年の大火で
市街地が壊滅してしまったとのこと


1枚目の写真は駅前の温泉のあるところである
県庁所在地で、駅前に温泉のあるところは珍しい

下の写真は鳥取のメインストリートで
駅前から鳥取城址に続く、若桜(わかさ)通りである


(鳥取県鳥取市末広温泉町、弥生町)


鳥取民芸美術館、尾白稲荷神社





鳥取駅近くにある鳥取民芸美術館と尾白稲荷神社である

土蔵風の建物の中には日本のみならず
朝鮮、中国、西欧の民芸品が展示されている

尾白神社の祭神は久松山の
慶蔵坊の縁者と言われる白い尾のキツネ
 
村に異変があると走り回って村人に知らせたと言われている


(鳥取県鳥取市)



駅前アーケード





鳥取駅前のアーケーと駅前の写真である
冷たい雨が激しく降っていたので、アーケード街に入りほっとした

今日は一日、冷たい雨であった


(鳥取県鳥取市)


鳥取駅





鳥取駅前である
正面中央(下写真)に見えるのは鳥取城のある久松山だ

駅前で昼食を摂る
今回の山陰道の最後と言う事で、ビールと鰻重で打ち上げとする

ここで、山陰道は中断である
智頭鉄道経由の特急「スーパーはくと号」に乗り
山陽道の姫路に向かう

山陰ではずっとじめじめした天気で
太陽は殆ど顔を出さなかったが
姫路に着いたら信じられないような快晴であった


(鳥取県鳥取市)

0712/0801


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