因幡
湖山池
新幹線を相生で降り、智頭急行経由のスーパーはくとで鳥取に着いた
途中は雪であったが、山陰道は激しい雨であった
写真は街道左手にある湖山池
周囲18kmの円形の潟湖で
湖山砂丘によって日本海と隔てられている
富栄養湖でコイ、フナ、ウナギ等が豊富なところだ
(鳥取県鳥取市湖山)
末恒集落
JR末恒駅付近の二差路である(上写真)
左が旧道である
元気高郡末恒村で、日本海に面している地域である
(鳥取県鳥取市末恒)
白兎海岸
末恒の集落を抜けると目の前に日本海が開ける
古事記の因幡の白兎で知られた白兎(はくと)海岸
左の岩礁は房島である
この白兎海岸がハマナス自生南限地となっている
(鳥取県鳥取市末恒)
淤岐ノ島
白兎海岸の岩礁・淤岐(おき)ノ島と
フカ群の背に似た海食台で結ばれた所で
「因幡の白兎」の神話(古事記)の舞台である
その淤岐ノ島が今でもあることには驚いた
フカの背鰭は、波が荒く見えなかった
2枚めの写真は砂浜に降りて撮影したもの
海岸には兎と大国主の石像が建っていた
なお古事記では白兎では無く素兎(裸の兎の意)である
(鳥取県鳥取市末恒)
白兎神社
白兎海岸の丘には白兎神を祀る白兎神社と
文部省唱歌「大黒さま」の作曲者田村虎蔵の碑が建っている
(鳥取県鳥取市洲恒)
因幡・宝木
11母木宿
山陰道12番目の宿場母木宿の入口である
母木神社があることから母木宿であったが
今の地名は宝木(ほうぎ)となっている
宝木は河内川の河口右岸に発展した古い町である
宿場入口付近に旧宝木村出身の両国梶之助の大きな石碑が建っている
両国梶之助は元禄時代の名力士で
寛文4年(1664年)ここ宝木で生まれた
両国梶之助は
小さいときから相撲が強く、鳥取池田藩のお抱え力士となり
因幡、伯耆の2国で敵う者がいなかったため
当時の藩主池田光仲より命名されたとのこと
京都、大坂で有数の大力士として活躍した由
1枚目写真のT字路を左に入るとJR宝木駅となる
(鳥取県鳥取市気高町宝木)
JR宝木駅
JR山陰本線の宝木駅と駅前の写真である
宝木のある気高町には、貝殻節発祥の地として知られる
浜村温泉がある
ここは小泉八雲の「知られぬ日本の面影」に
美しく素朴な人情のある小さな村と紹介されているところだ
(鳥取県鳥取市気高町宝木)
JR山陰本線と宝木小
宝木駅から線路沿いに西に行ったところである
山陰本線の線路とその先が宝木小学校、そして母木神社のあるところだ
母木神社の古くから伝わる「因幡の菖蒲綱引」が
国の重要無形民族文化財に指定されている
地区の子供組み(7〜14歳の男子)によって、旧五月の節句に
菖蒲で作った綱で、初節句や、婚礼、新築のあった家の前で
エイトーエイトーと囃しながら、綱を激しく地面に叩き付ける行事だ
そして、その綱に厄を負わせ、海に流すという
また、綱引き行い、その年の占いも行われる様だ
(鳥取県鳥取市気高町宝木)
街道筋町並み
写真は母木宿の出口付近である
次は山陰道12番目の宿場・青谷宿となる
(鳥取県鳥取市気高町宝木)
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