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旧山陰道 11

倉吉駅〜赤瓦白壁土蔵群




伯耆・倉吉


倉吉街道、倉吉駅前





JR山陰線の倉吉駅(元の上井駅)
倉吉の中心地・旧市街地は、駅前のこの道から先、約3kmも離れている

明治36年に出来た当時の駅名は倉吉であったが
後に倉吉線が開通して、市の中心に打吹(うちぶき)駅(新倉吉駅)が
出来た時は、この駅は上井(あげい)駅に変更された

しかし、昭和61年に倉吉線が廃線となると
再び上井駅から倉吉駅と改称された


(鳥取県倉吉市上井)

研屋町








城下町倉吉の中心地である

古代伯耆国の中心地で、戦国期末期に
山名も師義が打吹(うつぶき)山(201m)に築城した

その後、後尼子氏、里美氏が居城している
寛永9年(1632年)よりは鳥取藩家老荒尾氏の陣屋となった

研屋町は文字通り、刀研ぎ師が集められていたところである

今でも、古い町並みが残されていた
この 研屋町から玉川(堀)沿いの魚町、東仲町一帯が
商家町として、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている


(鳥取県倉吉市研町)



研屋町児童遊園





研町の一画にある研屋(とぎや)町の児童遊園にある
打吹流しびな像である

打吹(うちぶき)流し雛とは・・・
神事の後、願い事が書かれた流し雛の絵馬を
市内を流れる玉川に流し、祈願する行事で
毎年春に行われている

下の写真は研屋町より、打吹山(倉吉城址)を見上げた写真である


(鳥取県倉吉市研屋町)


研屋町・魚町・玉川堀





研屋町そして左手は魚町となっている
如何にも城下町らしい町名である

間を流れているのは玉川で、かつての城の堀である


(鳥取県倉吉市研屋町玉川)


玉川堀・赤瓦白壁土蔵群







玉川(堀)沿いには、今でも赤瓦白壁の土蔵群が残されている
この白壁土蔵群は、江戸期から明治に建てられたもので
今でも、当時の面影が残されている一画である

赤瓦は、石州瓦(石見瓦とも)である
なお石州とは旧石見国のことである
高い温度で焼き上げたもので、硬くて風化しにくく
耐寒性、耐塩害性に優れた瓦とのこと


(鳥取県倉吉市魚町玉川)


東仲町












倉吉市東仲町の商店街
この東仲町には有力な商人が多く台頭した地域で
間口が狭く、奥行きの細長い店舗兼住宅となっている

3枚目の写真(左側の建物)は、桑田家で
この辺の代表的な商家とのこと

最後の写真は赤瓦8号館で
倉吉ふる里物産館として、地元のお菓子等の販売をしている

赤瓦1号館から11号館まで指定されている


0802/0803


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略 図

経路 青線部












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