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旧山陰道 12

打吹山・倉吉城址




打吹山・倉吉城址


倉吉ふるさと工芸館





東仲町の商店街を抜け、打吹(うつぶき)公園に向かう

下の写真は、倉吉ふるさと工芸館で
倉吉絣(かすり)の実演や展示、販売も行っている

また、市内窯元の陶磁器等も展示されている


(鳥取県倉吉市東仲町)


横綱琴櫻顕彰碑



道の角に、第53代横綱琴櫻の大きな銅像と顕彰碑がある

倉吉出身の横綱で
昭和15年倉吉で生まれ、本名は鎌谷紀雄
昨年8月没、66歳


(鳥取県倉吉市仲町)



打吹山・倉吉城址入口





打吹公園入口

元倉吉陣屋のあったところだ
戦国時代末期、山名師義がここに築城したのが最初
その後後尼子氏、里見氏の居城となり
寛永9年(1632年)よりは鳥取藩家老荒尾氏の陣屋が置かれたところである

入口右手(上の写真)に陣屋のシイは樹齢300年、樹高15mは
市の保存樹に指定されている

また園内には桜が4000本、ツツジ4万本もあり
花の公園として知られている

さくら名所百選にも選ばれ、山陰随一の桜の名所となっている


(鳥取県倉吉市仲町)



打吹公園・羽衣池



背後は打吹山山頂、下は羽衣池である

打吹山の天女伝説に因んで羽衣の池と名付けられた由

天女が羽衣を乾した羽衣石が市内東町の大岳院にあり
その辺りに元の羽衣池があったという

天女伝説とは
農夫に羽衣を盗まれた天女が人間と契って2人の子供をもうけたという
その後、羽衣を探し出し、山麓の神坂の井戸の畔より
天に戻って行った

それを悲しんだ子供達がこの山の頂上で
天女の好きであった音楽を
鐘を打ち、笛を吹き奏でたので、打吹山と呼ばれるようになったとか


(鳥取県倉吉市仲町)


倉吉博物館・歴史民族資料館



打吹山山麓椿の平に倉吉博物館と歴史民族資料館がある

博物館には倉吉周辺の馬山古墳や長瀬高浜遺跡よりの
出土品や郷土出身の画家前田寛治、菅楯彦等の作品が展示されている

また、歴史民俗資料館には倉吉絣や農機具など
明治から大正時代の民俗資料が展示されている


(鳥取県倉吉市仲町)


大江神社



打吹山をさらに登ると、途中に大江神社がある
第119代光格天皇の生母、大江磐代を祀った神社

大江磐代は、延亨元年(1744年)に倉吉の湊町で生まれ
京に上って、後の光格天皇を産んだとのこと


(鳥取県倉吉市研屋町玉川)


打吹山・展望台






打吹山山頂付近の展望台まで登ってみた
生憎の小雪で、視界が悪く
倉吉市街が微かに見える程度であった

ここで、諦めて下山する


(鳥取県倉吉市仲町)
0802/0803


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