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旧山陰道 19

大山町・21御来屋宿




大山町・御来屋


大山町・西坪



旧西伯(さいはく)郡名和町(なわちょう)西坪
現在の大山町(だいせんちょう)西坪に入る

相変わらず、雨が降っていた


(鳥取県大山町西坪)



JR御来屋駅



街道左手(南側)のJR山陰本線の御来屋(みくりや)駅である

明治35年開業以来の駅舎で、山陰最古の駅舎とか
しかし補修が行き届き、外観からはそんな風には見えなかった

なお、現存する日本最古の駅舎は明治15年に建てられた
滋賀県の旧長浜駅とのことである


(鳥取県大山町西坪)



旧街道



駅前より街道に復帰する
右手の石塔には「大乗妙典石書塔」と彫られてあった
建造が宝暦十年(1760年)となっている


(鳥取県大山町西坪)



西坪、町並み





大山町に西坪の町並みを抜けると御来屋漁港の横の道となる


(鳥取県大山町西坪)



御来屋漁港



御来屋漁港である

後醍醐天皇が隠岐島から脱出して時の上陸港として知られている
冬でも積出可能な港として古くから栄えてきたところだ

また、伯耆大山の北麓で、山の恩恵を受けて沖合いの水が綺麗で
特に貝類の宝庫となっている由

特にサザエは、県下一の水揚量とのことであった
殻だけで無く、身も大粒で町の名物となっている

毎年5月には「みくりやポートフェスティバル&サザエ祭り」が行われている
その時、「後醍醐天皇隠岐の島脱出レース」も行われるとか


(鳥取県大山町御来屋)



21御来屋宿





旧山陰道21番目の宿場御来屋に入る

伊勢神宮の供御所と推定されているところだ
古くは御厩と書かれていたようだ

鎌倉時代は名和荘ので建武中興(1333年)の勲功のあった
名和長年が地頭であった

また御来屋は、延喜式の奈和駅のあった処でもある

なお、延喜式には「和奈」と書かれているが
他の資料よりも、また現存する地名よりも「奈和」の誤記と見られている


(鳥取県大山町御来屋)



元弘帝御着船所



元弘帝御着船所の石碑が、町の中央右手にあった

玄弘とは、鎌倉時代末期後醍醐天皇朝の年号である
その左に「御腰掛の岩入口」との木の標識あり


(鳥取県大山町御来屋)



後醍醐天皇御腰掛岩





1333年、この地の地頭であった名和長年が
鎌倉幕府により隠岐の島に流されていた後醍醐天皇の脱出を助け
ここで上陸させたという

上の写真はその時、後醍醐天皇が腰掛けた岩とのこと

なお、後醍醐天皇が上陸した地点は
前述の下市の逢坂港との説もある

腰掛岩の右手の石碑には
「わすれぬや よるべし波乱 あら磯を 御船の上に とめし心を」
と彫られてあった

下の写真は、御来屋港の西端にある祠である


(鳥取県大山町御来屋)

0802/0804


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