伯耆・淀江
22淀江宿
伯耆大山系孝霊山(751m)を源流とする妻木川を渡ると
米子市淀江町淀江に入る
山陰道22番目の宿場・淀江宿のあったところだ
やっと雨が止んだが、どんよりした空模様であった
淀江宿は、米子市東部の淀江平野の中心である
近世は宿場町として、また米の積出港として栄えていた
鳥取藩のお台場(淀江台場)もあったところである
淀江平野は、元は入江や湖であったが
古代より水田地帯の広がるところとなっており
条里制の遺構も発見されている
また古墳の密集地として知られた所でもある
(鳥取県米子市淀江町淀江)
JR淀江駅前
JR山陰本線の淀江駅前には
古代ロマンロード起点と彫られた埴輪状の道標がある
この駅の裏手には岩屋古墳を中心にした伯耆古代の丘公園が出来ている
前方後円墳を主に、総数17基の古墳が集中しているところだ
弥生時代の高床式建物が作られており
6〜8月には、古代の種から蘇った大輪の古代ハスや
40種類のハスが咲く「ハスの園」もある
(鳥取県米子市淀江町淀江)
淀江・精明寺
旧街道を進むと、道はここで枡形になっている
その角にあるのが精明寺である
伯耆観音札所の第17番の札所となっている
大きな銀杏の木、2本が目だった
この辺が淀江宿の西の外れであったようだ
(鳥取県米子市淀江町淀江)
宇田川
精明寺の前を進むと宇田川となる
伯耆大山山系の地下水の湧水で
名水百選に選ばれている天の真名井(あめのまない)を
水源とする清流である
古事記、日本書紀に出てくる高天原の神聖な井戸を意味する名前とか
今でも2550t/日の湧水量を誇っている
川沿いには 弥生時代の角田遺跡があり
古くからの生活の源となっていたようだ
このこの川を渡ると、街道は直角に左に曲がっている
先ほどの寺の前の枡形と合わせ、完全なクランク型になっている
淀江宿の出口で、川を渡ると地名は淀江町西原となる
(鳥取県米子市淀江町西原)
淀江町西原
宇田川を渡ると、街道の両側には墓地が連なっていた
そこから伯耆大山の方を見たが、前衛山が微かに見えるのみであった
伯耆大山の側を歩いていて、未だ一度もお目にかかっていないのが寂しかった
(鳥取県米子市淀江町西原)
西原・旧街道
淀江町西原の街道筋である
正面に見える小高い山は壷瓶(つぼかめ、114m)山である
(鳥取県米子市淀江町西原)
淀江・日吉神社
街道左手に日吉神社
境内には平安時代の古社「サナメ社」もある
慶長年間(1600年頃)の宇田川荘の延暦寺への寄進状や
随神像3体、松南農兵隊用具、古文書などが収蔵されているとのこと
江戸時代から続く、日吉神社の神幸神事「よいとまかせ」は
淀江町の無形文化財に指定されている
獅子舞や山車、そして時代行列と賑やかな祭りで、その掛け声が
「えんよいやな えんよいとまかせ さささ さーよいとまかせ」とのこと
いい世の中だな、さぁもっといい世の中になるようにとの意とか
境内では「赤ちゃん相撲」も賑やかに行われる由
ここで、大休憩をした
山陰に入り、始めてうっすらと陽がさして来た
(鳥取県米子市淀江町西原)
旧山陰街道
住吉神社を後にして、伯耆国最後の宿場米子に向かう
米子は中村氏が築いた米子城の城下町としても栄えたところである
(鳥取県米子市淀江町西原)
0802/0804