伯耆・米子
山陰道
写真は現在の山陰道(国道9号線)である
道は米子でクランク形に大きく曲がっている
市街地を抜けると、目の前に二つの小高い山が見えてくる
街道を挟んで左手が飯山(標高60m)
右側が米子城のあった湊山(みなとやま、標高91m)だ
街道右手より、城址に登ってみた
(鳥取県米子市)
米子城枡形
街道より右に入ると、古びた石垣があった
ここが米子城の枡形のあった処だ
城主の居住していた二ノ丸の入口に当たり
高石垣と枡形、虎口が当時のまま残されている
なお、二ノ丸跡は市営の湊山庭球場となっている
なお、米子城は天正19年(1591年)
毛利の一族吉川広家を築城し
広家は岩国に移された
その後、伯耆17万5000石の領主として
中村一忠が入り、規模を拡大して城郭を完成させた
頂上の五重天守と四重櫓を中心とする本丸を設けた
城主はその後、加藤貞泰、池田由成、そして
寛永からは鳥取藩首席家老荒尾氏が
明治維新まで11代続いている
(鳥取県米子市)
長屋門
枡形より中に入ると、旧小原家長屋門が残されている
鳥取藩主席家老で米子城主であった荒尾氏の家臣で120石であった
江戸中期の建物で、市内に現存する唯一の武家建築
(鳥取県米子市)
御殿御用井戸跡、番所跡
御殿用御用井戸跡(1枚目写真)の横の階段を登ると
左手に番所跡(3枚目写真)があった
ここから本丸(右手)へ入る
(鳥取県米子市)
鉄御門跡
本丸入口にある鉄御門跡
(鳥取県米子市)
本丸跡
本丸跡である
土の色が白っぽいところは
かつての城郭の礎石である
建物は無いが、楚石がそっくり残されている
また石垣も良い状態で残されているので
国史跡に指定されている
(鳥取県米子市)
本丸跡より
本丸跡より中海(なかうみ、なかのうみとも)を見下ろした
夕日の名所であるが、残念ながら小雨であった
中海は鳥取県西部の弓ヶ浜と島根県の島根半島に挟まれた
地溝帯に出来た潟湖である
湖の中には、大根(だいこん)島と江島(えじま)がある
下の写真は米子市街である
晴れていれば伯耆大山も見えるという見晴らしの良いところである
(鳥取県米子市)
宇気・河口神社
米子城内膳丸跡より階段を降り、湊山公園を抜ける
旧城下町の内町に入るとその入口付近に宇気・河口神社がある
七夕神社ともよばれている神社だ
羽衣伝説が残されている
水浴びをしていた天女の羽衣を若者が隠してしまう
仕方無しに若者と結婚し、子供までもうけるが
ある日、隠されていた羽衣を探し出し、天に帰ってしまう
天女が残した夕顔の種を蒔くと
蔓が延び、天まで届いた
それを登り天女に会いに行くが
天女の父より数々の難題を出される
天女の助けを借りながら一つ一つクリアしていくが
最後の問題で失敗する
瓜畑の番をしながら瓜を割れと言われ
天女の助けで横に割っていたが
うっかり縦に割ると、そこから大水が出て川となり
2人は両岸に隔てられてしまった・・・・
そして、年に一度しか合えない様になったしまったとか
(昔話、天人女房)
その後、地元の人が七夕飾りをこの神社に持ち寄り
七夕祭りをするようになった
江戸時代より続いている行事とのことであった
倉吉の天女は、何も残さずに天に戻ってしまったため
山の上で笛や鐘を打ち鳴らし呼び戻そうとしたのとは
大分話が違っている(打吹山、前述)
(鳥取県米子市内町)
0802/0804