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旧山陰道 23

米子・内町〜JR米子駅




伯耆・23米子宿


内町、後藤家





米子城址を出て内山町に入る
その入口付近にあるのが河口神社(前述)である

神社の前の道を進むと左手に大きな旧家がある
旧廻船問屋の後藤家住宅である

旧加茂川に面したところにある

切妻屋根に丸瓦、千本格子の重厚な屋敷である
明治の初期までは、北川通路に面した敷地内には
数多くの倉や建物があったが
現在では母屋と一番蔵、二番蔵を残すのみとなっている

江戸時代の木造平屋建て本瓦葺き屋根の民家としては
この地方ではここだけで、国の重要文化財に指定されている


(鳥取県米子市内町)


寺町通り









9つの寺院が並ぶ寺通りである
通称お寺銀座とも言われているところだ

米子築城の時、伯耆の各地から城の備えとして移されて来たものだ
一列に福厳寺、瑞泉寺、安国寺、好膳寺、好興寺、実成寺、法厳寺、心光寺、萬福寺
と並んで、実に壮観であった

3枚目の写真は、福厳院で、赤茶色の見事な石州瓦であった


(鳥取県米子市寺町)



加茂川・土蔵群





寺町を抜けると尾高町に入る
今でも、旧加茂川沿いに土蔵群が残されているところである

なお、旧加茂川は島根県との県境にある鷲頭山(わしがしらやま)を
源流とする河川で米子城の外堀となっていた

大正時代まで荷を運ぶはしけがこの川を往来していたとのこと


(鳥取県米子市尾高町)



米子本通り







旧加茂川に面した土蔵群の表側は、商店街となっている
かつての城下町の中心街である

2枚目の写真は大寺屋船越家住宅で
江戸時代後期の建物とのこと

県民の建物100選に選ばれている

なお、大寺屋船越家は、日本刀草創の
宗家沢口伯耆守安綱の末裔と伝えられている

また屋号は、出身地の会見郡大寺村(現岸本町大殿)からきている


この米子本通りの長いアーケードを抜け
JR米子駅に向かう


(鳥取県米子市紺屋町)



米子駅前



JR山陰本線の米子駅である

駅近くのホテル・アルファ・ワン・米子に泊まる


(鳥取県米子市弥生町)



米子駅の朝





翌朝起きると雪であった
朝の7時前にホテルを出発し、米子駅に向かう

旧中山道探訪を中断し
7時20分発の特急やくも6号で、倉敷に向かう

2両編成の列車(下写真)は山陰本線の鳥取行きである


(鳥取県米子市弥生町)



伯耆大山





鳥取を経った特急やくもの車窓より、伯耆大山が幽かに見えた(上写真)
今まで一度も目にしていなかったので、感動的であった

下は広大な米子平野である
あたり一面雪であった


(鳥取県米子市)



国境付近



JR伯備線の車中よりの写真である

鳥取県最後の福永を過ぎ、生山(しょうざん)の手前の写真である
手前の川は、日野川である

周囲はすっかり雪に覆われていた

国境の谷田峠のすぐ近くである

谷田峠のトンネルを潜り、岡山県の新見市に入ると
雪は殆ど無かった

倉敷に着いた時には、晴天であった
今までの雪模様が信じられなくらいの良い天気である

今回はこの後、倉敷と赤穂、相生に立ち寄って帰宅した


(鳥取県日野町)

0802/0804


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