伯耆
伯耆大山
朝一番の新幹線(朝6:00発)に乗り
岡山で伯備線の特急やくも7号に乗換え
再び、米子に来た
旧山陰道への復帰である
今回は見事な快晴で、伯耆大山(1729m)が良く見えた
まさに伯耆富士と呼ばれるだけのことはある
古くは大神岳(おおかみのだけ)とも呼ばれていた名峰である
その伯耆大山を背にして、安来宿に向かう
伯耆大山が、段々遠くなってきた
(鳥取県米子市)
出雲
安来市和田、町並み
旧伯耆国(鳥取県)米子市から旧出雲国(島根県)安来市に入る
街道は、中海(なかうみ)に沿って真西に向かう感じのところだ
前方に安来(やすぎ)宿の町並みが見えてきた
(島根県安来市和田)
安来市街
現山陰道(国道9号線)に合流する
マンホールの蓋が、どじょうすくい(安来節)であるのに思わず微笑
ご存知安来節の発祥地である
♪ 安来千軒 名の出たところ 社日桜に 十神山
出雲名物 荷物にならぬ 聞いてお帰り 安来節
上げた白帆が 染まりはせぬか 安来港は 花吹雪〜
どじょうすくい踊りは、江戸時代末期に、近くの小川で獲った
どじょうを肴に酒盛りを始め、どじょうをすくう仕草を即興で踊ったのが
始まりと言われている
しかし、安来は古代から豊富な砂鉄を原料とした
踏鞴(たたら)吹き製錬法による
良質な和鋼(わこう、わはがねとも)の生産地であった
和鋼は日本刀の材料しても利用され
安来は刀鍛冶の町でもあった
どうやら、どじょうすくい踊りは、もともとは砂鉄と砂を
振り分ける動作から来ている様に思える
(島根県安来市東十神町)
日立金属
街道を進むと左手に、日立金属(元の安来製鋼)の安来工場がある
奥出雲で採れる砂鉄を利用した製鉄の伝統は
今では、この日立金属によって引き継がれている
市内安来町には和鋼博物館が設けられ
踏鞴製鉄の技術が紹介されている
(島根県安来市)
中海、安来港
街道の直ぐ右手にあるのが中海(なかうみ)に面した安来港である
中世尼子氏の時代は、隠岐国(隠岐島)に通じる
政治、経済の拠点であった
藩政時代には、ここで生産される鉄と年貢米の積出港として栄えた
藩倉もあり、安来節でも「安来千軒〜」(前述)と唄われた所だ
2枚目の写真右手の小高い山は安来節にも出てくる十神山(とがみやま、標高93m)である
なお、安来は伯太川、飯梨川の下流域の肥沃な沖積平野(安来平野)にあり
古くから農業の盛んなところでもあった
旧石器時代から人が住んでいたところである
(島根県安来市)
安来駅前ロータりー
街道左側にJR山陰本線の安来駅がある
駅前のロータリ−は傑作であった
安来節一色である
ロータリーの車道には、大きなどじょうが矢印代わりに描かれていた
(島根県安来市安来町)
JR安来駅
JR山陰本線の安来駅
駅舎が赤土色に塗装されていた
砂鉄のイメージである
(島根県安来市安来町)
東小路
国道9号線に面した家並みである
安来千軒と唄われた景観が偲ばれる様である
(島根県安来市安来町)
語臣猪麻呂像
街道左手に小高い丘がある
頂上には稲荷大明神と展望台が出来ている
その下にあるのが語臣猪麻呂(かたりのおみいまろ)像(写真)である
郷長であった
語臣猪麻呂の娘が、浜辺でワニザメに襲われて命を落とした
猪麻呂は村人の協力を得て
4日4晩かけて、仇のワニザメを討ち、神に捧げた
そのワニザメを鉾(ほこ)に刺し、晒した形が月の輪に
似ていたことから、月の輪神事として1300年も受け継がれている
例年、8/14〜17の四日間笛や太鼓の囃子に合わせ
「エンヤ、エンヤ、デコデットーヤ」の掛け声で
山車を引いて練り歩くという
この掛け声は、「みんな、みんな、出て手伝えや」の意とか
この稲荷大明神のある展望台の裏を左に曲がったところが
山陰道24番目の宿場安来宿である
宿場特有の枡形となっているところだ
(島根県安来市安来町)
0804/0805