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旧山陰道 25

24安来宿〜伯太川




24安来宿


稲荷大明神、枡形







国道9号線の東小路交差点を左に入ったところが
山陰道24番目の宿場安来宿の入口である

左に曲がり、西方寺(1枚目写真)の所を右に曲がる
枡形となっているところだ
左のこんもりした森は稲荷大明神である

2枚目の写真は枡形の出口にある安来中郵便局で
町並みに調和する建物となっている


(島根県安来市安来町)


西小路



旧街道より一本先の道で、西小路と呼ばれている

古い町並みが残されているところだ


(島根県安来市安来町)



安来宿町並み







安来宿の中心街
歴史を感じさせる町並みである

安来の地名は出雲国風土記にある須佐之男命(すさのおのみこと)が
この地に来て「吾が御心は安来けくなりぬ」と言ったという神話に由来する

地名も古いが、安来は古代から続く踏鞴(たたら)の里でもある
江戸時代には何んと日本全国の8割以上の鉄生産量を誇ったとか

それに伴い、刀鍛冶も盛んであったところだ


(島根県安来市安来町)



大市場商店街



ここから街道は大市場商店街となっている

かつての安来宿の中心地である


(島根県安来市安来町)



下山神社



左手に安来下山神社

縁起が無いので解らないが、恐らく名前からして
中国地方屈指の霊峰大山にある大神山神社、下山神社の末社であろう


(島根県安来市安来町)



やすぎ回顧館・一風亭



上の写真はかつての豪商鎌田本店の住居と店舗を兼ねた建物で
11の和室と3つの蔵、茶室、中庭を備えたもの

約100年前に建てられもので
ここで呉服や雑貨を販売していた

1昨年空き家になったのを市が買い取り
交流館「やすぎ回顧館一風亭」としてオープンしたもの
展示会や句会等に利用されている

一風亭に第13回やすき刃物まつりのポスターが掲示されていた

5月3,4日に行われるもので
大きく「古来の伝統と歴史を誇る鉄のまち・安来」と書かれている

全国20ヶ所より刃物や砥石の業者が集まり展示即売会を行うようだ

同時に尼子武者行列、刃物シンポジウムや
日本刀の展示会等も行われるとのこと


(島根県安来市安来町)



木戸川





中心街を抜けると木戸川に架かる木戸橋を渡る

此の辺が、かつて宿場の出口で、木戸のあった処のようだ


(島根県安来市安来町)



安来一里塚




宿場を抜け、さらに進むと、左手に安来一里塚があった

出雲国内の近世山陰道で22ヶ所あった一里塚の一つである

往時は大きな松があったが、昭和56年に松食い虫にやられ
枯れてしまったとのこと
現在の松は二代目である

山陰道の一里塚は
慶長9年(1604年)、江戸幕府により全国に設置するように
命じられて作ったもので、その年の5月には完成させたという


(島根県安来市安来町)



髭題目



街道右手に
南無妙法連華経と刻まれた髭題目

旧東海道では多かったが、山陰道では珍しかった


(島根県安来市安来町)



伯太川・安来大橋





伯太(はくた)川に掛かる安来大橋

広大で肥沃な安来平野は、この伯太川と飯梨川の下流域に
発達した沖積平野である

下の写真は安来大橋より上流を見た写真だ
正面の鉄橋はJR山陰本線である

この橋の南西(写真右手方向)には、戦国時代この地を治めていた尼子氏の
有名な居城、月山の富田城があったところである


(島根県安来市安来町)



旧山陰道





安来大橋の欄干主柱上のどじょうすくい踊りの像は傑作であった

この像に見送られて安来大橋を渡ると
飯島町そして25番目の宿場・出雲郷となる

この出雲郷は読めなかった
正しくは「あだかえ」と読むそうである


(島根県安来市飯島町)

0804/0805


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