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旧山陰道 26

東出雲町・揖屋〜25出雲郷〜松江市・八幡町




東出雲町


揖屋、街道筋



安来市を抜けると、八束郡東出雲町揖屋(いや)に入る
東出雲町は安来市と松江市に挟まれた町となっている

揖屋は古くから、中海の漁獲物を
原料とした「野焼きかまぼこ」が知られている
直径7〜8cm、長さは70cmもある豪快なものだ

1950年代までは、ここで出来たかまぼこを
毎日100人くらいの人が、山陽道の岡山、広島まで売り歩いたとか

なお、揖屋の揖の字は
左右の手を胸の前で上下、左右にさせて礼をする意である
地名の由来に、神話が関係ありそうである

古事記では、この地に黄泉比良坂(よもつひらさか)があったと記されている
この世と黄泉の国の境である


(島根県東出雲町揖屋)


名女形女寅はん像



JR揖屋駅前のロータリーにある歌舞伎の名女形女寅(めとら)はんの像

揖屋出身の明治時代の歌舞伎を彩った名女形である
明治20年に2代目市川女寅、そして明治43年には6代目市川門之助を襲名した

島根県教育委員会選定の明治の百傑の一人に選ばれている
その顕彰碑である


(島根県東出雲町揖屋)



JR揖屋駅前





JR山陰本線の揖屋駅

駅には、まちの駅「東出雲まちの駅女寅」が併設されている

駅前の通りを出て、旧山陰道に入るとすぐ左右に分岐している
右側が旧山陰道であるが、左の道も並行しており
200m程先で合流していた


(島根県東出雲町揖屋)



佐藤忠次郎記念館



街道右手に、三菱農機(株)の工場がある

写真は、その三菱農機(株)の前身である佐藤造機の
創業者佐藤忠次郎の居宅で、現在は記念館になっている

氏は、明治20年、東和泉町出雲郷(あだかえ)の生まれで
現在のコンバインの原型「回転式稲扱(いねこぎ)機械」の発明者である

自転車で転倒した時、車輪が稲穂を巻き込む様子をヒントに
開発したとか

現在では当時の機械や資料が保存展示されている


(島根県東出雲町揖屋)



出雲街道追分



出雲街道の追分である
真新しい標識があった

説明によると
出雲街道は出雲大社から津山までの172kmの道で
松江藩の参勤交代の道で、踏鞴(たたら)の道(写真右手)でもあった

写真左側は旧山陰道安来方面である


(島根県東出雲町揖屋)



大内神社、西揖屋旧街道





右側に大内神社
大内義隆の養子大内晴持がここで死んだのを祀った神社である

戦国時代の天文11年(1542年)、毛利氏に味方した
大内氏が、出雲国を統治していた尼子氏攻略のため
出征してきたが、反撃にあい総崩れとなった

落ち延びてきた初陣の若大将、大内晴持がここで落命したとのこと


(島根県東出雲町揖屋)


出雲郷


JR山陰本線





JR山陰本線の踏切を渡ると
旧山陰道25番目の宿場・出雲郷(あだかえ)に入る

出雲郷、やはりどう考えても「あだかえ」と読めない・・・


(島根県東出雲町揖屋)



薬師堂





右手に薬師堂
古くからあったようで、享保2年(1717年)に書かれた地誌にも
記述されているとのこと

下の写真は出雲郷の町並みである


(島根県東出雲町出雲郷)



阿太加夜神社





街道左手に阿太加夜(あだかや)神社

出雲風土記に出てくる神社で
主祭神は阿太加夜怒志多伎吉日女(あだかやぬしたききひめ)命である

この神社の12年毎に行われる船神事「ホーランエンヤ」は
宮島の管絃祭、大阪天満の天神祭と並んで
日本三大船神事の一つとのこと

どうやら、出雲郷(あだかえ)の地名は此処から来ているようだ

下の写真は、出雲郷のはずれにあった古い道標
左 松江マデ 二里七丁
右 安来マデ 三里四丁
と刻まれていた


(島根県東出雲町出雲郷)


松江市



意宇川、出雲郷橋







意宇(いう)川に架かる出雲郷橋を渡ると
松江市大門に入る

2枚目写真は、出雲郷橋より中海方向を見たものだ

意宇川は出雲風土記の国引物語の
八束水臣津命(やつかみずおみつぬのみこと)がこの上流で
「今は国引きおえつ」と杖を突き、「意宇(おえ)」と云ったことによる由

なお、「おえ」とは仕事を終り、休息に入る時に発する感嘆詞のこと

3枚目の写真は安国寺と刻まれていた
川を渡ると直ぐ右手にあった

中国四十九薬師霊場の39番となっている

なお、安国寺は足利尊氏、直義が暦応1年(1338年)から
10年かけて諸国に設けた寺院のことである


(島根県松江市大門)



八幡川





意宇川の支流八幡川を渡ると八幡町に入る

八幡の地名は、平浜八幡宮よりきている


(島根県松江市八幡町)


的場池





左手に的場池、そして池を挟んで反対側(下写真左部)に
平浜八幡宮(武内神社)がある

鎌倉時代に、京都の岩清水八幡宮の分霊社として造られた

祭神の1柱が長寿で知られた
記紀に出てくる武内宿禰(たけのうちのすくね)であるため
長寿祈願で人気のある神社である


(島根県松江市八幡)



八幡町圃場





松江市八幡町の広々とした田圃
その一画に「圃場(ほば)整備之碑」があった

此の辺一帯は湿地帯であったが、整備されて圃場となったところだ


(島根県松江市八幡町)




道標





追分にある石の道標には右馬潟港、そして左武内神社と書いてある

馬潟港は中海の西端の港である
武内神社は前述したところだ


(島根県松江市八幡町)



中海大橋



さらに進むと、前方に大きな橋が見えてきた(下写真右手)
中海と宍道湖を結ぶ大橋川に架かる中海大橋である

松江の城下町はこの大橋川沿いに左(西)に行く

まもなく山陰道26番目の宿場・松江宿となる


(島根県松江市八幡)

0804/0805


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