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旧山陰道 27

JR松江駅〜塩見縄手〜松江城




松江


JR松江駅前





中海と宍道湖を結ぶ大橋川の南岸を進むと
JR山陰本線松江駅の前に出る

大橋川は宍道湖から松江市の市街を横切って
中海に流れ込む山陰屈指の大河、斐伊川本流の一部である

揖伊川と言えば、八岐大蛇(やまたのおろち)で有名な川だ

この川の北側に松山城、武家屋敷、城下町(職人、商人)がある
川の南側は寺院と商人の町屋となっていた

駅前に到着したのは夕刻の4時半であった
日が暮れる前にと思い、急ぎ大橋川に架かる松江大橋を渡り
北川の松江城下町に行く


(島根県松江市大正町)



塩見縄手・武家屋敷







松江城北側の塩見縄手と呼ばれるところ
今でも、往時の武家屋敷が見事に並んでいる

内堀に面して、松江藩の中老塩見家があったので
塩見縄手と呼ばれるようになった由

その後、塩見家は、氏家家、滝川家と主は変わったが
建物は今も残されれている

この家並みの左端(西端)に小泉八雲の居宅が残されている


(島根県松江市北堀町)



小泉八雲旧居







小泉八雲の旧居宅

小泉八雲はラフカディオ・ハーンの日本帰化名
明治23年、松江尋常中学の教師として赴任してきた人だ

旧松江藩士の娘、小泉セツと結婚して、日本の伝統文化の研究に取り組み
「知られざる日本の面影」、「怪談」、「霊の日本」、「心」などを著している


(島根県松江市北堀町)



松江城・北堀、北惣門橋





内堀に掛かる北惣門橋より松江城内に入る

松江城は千鳥城とも云われ、出雲藩18万6000石の本拠であった

関ヶ原の戦いの直後、出雲・隠岐の2国に封じられた
堀尾義晴が、宍道湖湖畔の亀田山(標高29m)に築いたものだ


(島根県松江市殿町城山)



松江城天守閣





国の重要文化財に指定されている天守閣である
いわゆる牛蒡(ごぼう)積みの石垣の上に建っている

姫路城の様な白壁塗籠の華麗なものではなく
実戦経験豊富な堀尾吉晴が、実戦本位に
縄張りをした城とのこと


(島根県松江市殿町城山)



松江城、石垣と櫓





桜が満開であった
本丸にはソメイヨシノが360本あり、桜の名所となっている

下の写真は真新しい南櫓、中央櫓である
この櫓は平成になって復元されたもの


この後、城を出て城下町に向かう


(島根県松江市殿町)

0804/0805


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