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旧山陰道 29

27宍道宿〜JR宍道駅〜追分




27宍道宿


旧街道、氷川神社






宍道の街に入ると左手奥に氷川神社がある

祇園祭、通称「れんげ祭」が夏に行われる
神輿の古式練りと、しんじ恋踊りが知られている


(島根県松江市宍道町)


宍道駅入口交差点





宍道町の市街を暫く進むと、宍道駅入口の信号がある
信号を左に曲がるとJR山陰本線の宍道駅だ


(島根県松江市宍道町)



宍道駅前通り



駅入口の信号の右側を見た写真である

この駅前通りは北に伸び、宍道湖湖岸に繋がっている
宍道町(しんじちょう)は、宍道湖の南西岸に発達した宿場で
山陰道と出雲街道の追分ともなっている

出雲大社の参詣客の宿場町としても賑わっていたところだ
近世は、出雲の養蚕の中心であり、紡績機械工場が興ったところでもある

そんな面影が感じられる一画である


(島根県松江市宍道町)



JR宍道駅





山陰本線の宍道駅

下の写真は駅前にある宍道郵便局前の像である
狸にも似ているが、多分猪であろう

宍道の地名の由来は、出雲風土記の「大国主命(おおくにぬしのみこと)猪追い給うた道」から
当初は猪路(ししじ)であったが、転訛して宍道(しんじ)となったようだ


(島根県松江市宍道町)



八雲本陣







再び、旧山陰道に復帰する

街道左側に一際大きな建物、木幡(こわた)家住宅・八雲本陣がある
島根県を代表する屋敷で、重要文化財に指定されている

補修はされているが、母屋の大屋根は享保18年(1733年)の形のままとか
また、表屋部分は文政9年(1826年)からの姿とのことであった

代々、松江藩の本陣を勤めた家で、地主の他、酒造業も営んできた

戦後は割烹旅館として営業していた
八雲本陣はその時の屋号である

実はここに泊まろうとして調べたら、つい最近(2006.2)、廃業したばかりであった

名物料理の「鴨の貝焼」を食べ損なった感じである
大きいあわびの貝を鍋代わりにして、野鴨や野菜を煮て食べる家伝料理であった

今は内部が公開(有料)されている


(島根県松江市宍道町)



宍道町甍の波





古代から続いている宍道町は、今でもかつての面影を残している

しかし、最近は松江、出雲の住宅地となり新しい家がどんどん建っていた


(島根県松江市宍道町)



公営駐車場と小公園







旧街道に面して、公営駐車場と小公園が整備されていた
休憩したかったが、生憎の雨で断念する

ブロンズの猪が愛嬌を振りまいているのは救いであった


(島根県松江市宍道町)



宍道宿出口付近





宍道湖の注ぐ小さな堀川を渡ると追分となる

宍道宿の西の出口である


(島根県松江市伊宍道町)



宍道追分





左は旧出雲街道で、この先で現国道54号線に合流している
左の道を進むと、左側に八岐大蛇公園があるところだ

旧山陰道は右の細い道である
次は山陰道28番目の宿場・今市宿となる


(島根県松江市宍道町)
0804/0805


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略 図

経路 青線部











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