旧山陰道 34
石見・大森
石見・大森町
大森
大田より銀山川沿いの旧山陰道(現県道46号線)を
石見銀山(大森銀山)のある大森に向かう
写真は大森集落入口付近である
店の前の大石には「天領のうた」が刻まれている
石見銀山とその周辺は江戸時代、天領であった
「延慶の昔 北辰星のお告げで 世に顕われた 石見銀山
関ヶ原の役のあと 徳川幕府の天領となる
慶長の盛山は 銀山の谷に 二十万
寺院百ヶ寺 ・・・・ 禎久詩」
と刻んであった
(島根県大田市大森町)
大森・銀山川、城山神社
銀山川を渡ると右手に城山(さがみ)神社
大森の産土神である
延喜式内社で、元は大田市仁摩町の高山(城山)にあったが
永亨6年(1434年)大内氏によって、この地の東にある愛宕山に移された
さらに天正5年(1577年)に、毛利氏により現在地に移されたものだ
(島根県大田市大森町)
大森代官所跡
天領となった銀山を治める幕府の代官所跡
内部には石見銀山に関する資料等が展示公開されている
石見銀山は、延慶3年(1310年)頃に銀鉱が発見され
近世初期は全国有数の銀山として発展した
慶長年間(1596〜1615年)から寛永年間(1624〜44年)が
最盛期で、数万の鉱山労働者がいたとのこと
しかし、近世後期には地表面の富鉱層の枯渇により衰退してしまった
(島根県大田市大森町)
大森集落入口
石見銀山のお膝元である大森集落の入口である
この大森の町並みは「石見銀山遺跡とその文化的景観」として
2007年、世界遺産に登録されている
また、国の「大森銀山伝統的建造物群」としても指定されている
右へカーブしている道は、大田市仁摩に通じる県道21号線(仁摩瑞穂線)で
ここが追分ともなっている
(島根県大田市大森町)
熊谷家住宅
熊谷家住宅
かつては毛利家の家臣であった商家で、重要文化財に指定されている
江戸末期から酒造業も営み、大森一番の豪商であった
代官所の御用掛、御用達も務めていた
大森には街道に沿って武家屋敷や商家などが、今でも多数立ち並んでいる
最盛期には20万もの人が住んでいたという
(島根県大田市大森町)
勝源寺
街道右手銀山川沿いに勝源寺
二代目代官の竹村丹後守が慶長6年(1601年)に
建立したもので、代官様の寺と呼ばれていた
徳川家と同じ浄土宗の寺である
(島根県大田市大森町イ430)
大森集落
大森の集落の俯瞰写真である
街道に沿って、延々と町並みが続いている
下の写真左奥が前述の勝源寺である
(島根県大田市大森)
石城山観世音寺
小高い岩山の上にある
前掲の大森集落俯瞰写真はこの境内から撮影したものだ
大森代官所が銀山隆盛を祈願するための祈願寺であった
火災で焼失したため、現在の本堂、山門と鐘楼は
万延元年(1860年)に再建されたもの
(島根県大田市大森町)
大森集落
石城山観世音の階段より大森集落を見下ろした写真
この道が銀山川に沿った旧山陰道で
この街道を登っていくと、銀山の間歩(まぶ、坑道の意)があり
さらに進むと、銀の積出港である温泉津(ゆのつ)にと繋がっている
(島根県大田市大森町)
(0804/0806)