悠々人の日本写真紀行へ移動します

旧山陰道 35

石見銀山(大森銀山)




石見・大森町


大森・高札場跡



大森高札場跡の横に
大田市大森銀山重要伝統的建造物群保存地区と刻まれた石碑が建っている

ここから旧街道沿いに、延々と往時を偲ばせる町並みが続いている


(島根県大田市大森町)



旧大森区裁判所



明治23年に開所した旧大森区裁判所
当時は邇摩(にま)、邑智(おおち)郡の49村を管轄していた

明治時代に建てられた区裁判所が現存しているのは全国的に珍しいとのこと


(島根県大田市大森町)



鶴の石





石見銀山「鶴の石」(下写真)
天然石とビーズクラフトの洒落た店で、その場でオリジナルのアクセサリーも作ってくれる
また看板に「石占い」無料とあった

大森代官所前には「銀の店」があり
ここでは銀製品やオリジナルリング、ペンダント等も販売していた

また往時の銀貨や金貨も売っていた


(島根県大田市大森町)


大森町並






重要伝統的建造物群保存地区に指定された
旧街道沿いの古い町並みである


(島根県大田市大森町)


石見銀山代官所地役人遺宅





町並みの途中に、石見銀山代官所の地役人宅であった三宅家
建物は代官所の銀山方役所に勤務する銀山付地役人田邊氏の居宅であった

初代の田邊彦右衛門は、甲斐出身で慶長6年(1601年)に
初代大森奉行であった大久保長安に召し抱えられている


(島根県大田市大森町)


榮泉寺




榮泉寺は、慶長元年(1596年)の開山
禅の修行道場であった

石段の上に見える山門は竜宮門と呼ばれ
嘉永6年(1853)に再建されたもの


(島根県大田市大森町)


大森町並






さらに街道を進む
延々と古い町並みが続いている

世界遺産に登録されてから、観光客も大幅に増えた


(島根県大田市大森町)



石見銀山御料郷宿



この建物は、石見銀山御料郷宿(ごうやど)、泉屋遺宅である

大森には6軒の郷宿が設けられていた
代官所へ公用で訪れてくる村民等の指定宿であった


(島根県大田市大森町)



五百羅漢追分





五百羅漢追分
ここを左に曲がると、五百羅漢石窟となる

喜怒哀楽の様々な表情をした羅漢501体が石窟に納められている
短命な銀山鉱夫の供養のために作られたという

この辺りで、延々と続いていた大森の町並みも途切れ山道となる

石見銀山の銀の鉱脈のあった仙ノ山(538m)を中心とする柵内(さくのうち)で
銀の採掘から精製までを行った銀生産の拠点であったところだ


(島根県大田市大森)



石見銀山(大森銀山)


吉岡出雲墓所



坂道を登って行くと左手に、吉岡出雲の墓所がある

戦国時代の毛利家の銀山付き役人で、その後初代代官大久保長安の下で
銀山の採掘を担当し、鉱山鉱脈の発見、採掘技術の指導等で力を発揮した人とのこと

500石取りであった


(島根県大田市大森町)




福神山間歩



右側に銀坑道入口があった
福神山間歩(まぶ)と呼ばれている

石見銀山では、坑道のことを間歩と呼んでいた
この福神山間歩は、採掘にあった山師個人が経営する「自分山」であった
代官所直営の間歩は「御直道」と呼ばれていた

天保15年(1844年)には、この御直道が33箇所、そして自分山が9箇所あった由

石見銀山には主な鉱脈が32本もあったという


(島根県大田市大森町)




銀山町年寄山組頭遺宅



石見銀山の御料銀山、町年寄山組頭の高橋家遺宅である

山組頭は、代官所と鉱山経営者である銀山山師達との取次ぎを行う役人で
銀山師の中から選ばれた

また町年寄りは、銀山師達が住む町の運営に関わる役職であった


(島根県大田市大森町)




龍源寺間歩







さらに坂道を登ると、街道左手に、龍源寺(りゆうげんじ)間歩がある
現在、中に入れる唯一の坑道である

江戸時代中期に彫られた間歩で全長900mの内
約300mが公開されている

人力だけで掘った、壁面に残る当時のノミ跡が生々しい


(島根県大田市大森町)



旧街道、降路坂



龍源寺間歩の前を通ると
旧街道は銀の積出港であった温泉津(ゆのつ)沖泊(おきどまり)へ抜ける

途中の降路(ごうろ)坂は、文字通り石がごろごろした峠道で
中国自然歩道に指定されている


(島根県大田市大森町)
(0804/0806)


前へ 目 次 次へ


略 図

経路 青線部











悠々人の日本写真紀行

TOP 北海道 東 北 関 東 中 部 近 畿 中国四国 九州他