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旧山陰道 40

浜田・治和〜32三隅宿〜三隅・岡見




石見・浜田


治和町





浜田港を抜けると、周布(すふ)町に入る
周布は、古代は周布郷の地で、中世は石見国守護の一族周布氏の城下であった

周布川を渡ると、浜田市治和町となる
写真は治和町の海岸である

正面の半島は津摩町のあるところだ
右手入江奥は津摩漁港となっている


(島根県浜田市治和町)



折居・鞍島



浜田市折居の海岸である

ここから、街道は海岸線を離れ
中道峠を越えると、三隅(みすみ)町に入る

左の小さな岩礁は鞍島と呼ばれている
夏は折居海水浴場として賑わうと言う


(島根県浜田市)

32三隅宿


三隅町





中道峠を越えると、三隅となる

三隅は三隅川に沿って発展してきた町で
山陰道32番目の宿場・三隅宿のあったところである


(島根県浜田市三隅町)



三保三隅駅前






JR山陰本線の三保三隅駅と駅前である


(島根県浜田市三隅町西河内)



追分




駅前を少し進むと追分となる
右は三隅川河口の三隅町湊浦方面で、左は三隅町三隅城址方面である

左の道を進む


(島根県浜田市三隅町西河内)



成田郷三角田記念碑






程なく、道が開け見通しが良くなる

その右手に史蹟「成田郷三角田」記念碑がある
すっかり風化され、丸くなった石に彫られている文字だ

文化14年(1817年)に書かれた古文書に出てくる地名である

それによると、三角本郷は、大穴持尊(大国主命)が
この地を始めて開墾して、三角田と呼び
古くは成田郷とも呼ばれていたとの記録が残されている

古くから開けた土地であったようだ


(島根県浜田市三隅町三隅)



三隅、高城山




開けたところを進むと正面に高城山(たかじょうさん、362m)が見えてきた
中世の三隅城のあったところだ

鎌倉時代の寛喜元年(1229年)
三隅兼信によって築かれた山城である

遺構としては曲輪跡と石垣が残されているとのこと


(島根県浜田市三隅町三隅)


三隅川上流側





三隅川沿いの道となる

三隅はこの三隅川に沿って発展してきたところだ
この三隅の地名は水澄みからきているとのこと

上の写真の左の山は水来山(413m)で
右の高城山よりわずかに標高が高い

なお、三隅川は浜田市南東部の山地が源流で
三隅町湊浦で日本海に流入している河川だ

上流には御部(おんべ)ダムが出来ている


(島根県浜田市三隅町三隅)



三隅川、下流側





三隅川を下って、三隅町湊浦に向かう
土手の上の快適な道となっている

写真は河口方向を見たものである
川の左岸の集落は三隅町古市場で
重要無形文化財に指定されている石州和紙、半紙の本場である

古市場の三隅中央公園内に、石州和紙会館が作られている


(島根県浜田市三隅町古市場)


三隅・湊浦


三隅町湊浦集落









三隅川右岸に三隅町湊浦(みなとうら)の集落が見えてきた
日本海に面した集落である

赤茶色の石州瓦の屋根が見事であった


(島根県浜田市三隅町湊浦)



三隅川河口







下の写真は河口の橋で
橋の下には、日本海の波が押し寄せていた

右手(右岸)の集落が三隅町湊浦で
左手が古市場だ
上の写真、左の煙突は三隅発電所である

二枚目の写真の山頂には展望台(田の浦公園)が出来ている
付近は内ゲタ海水浴場となっているところだ

下の写真の右遠方の島は鹿島である


(島根県浜田市三隅町湊浦)


三隅・岡見


三隅発電所




正面は中部電力三隅発電所

重油ではなく、石炭を燃料とした最新式の火力発電所で
発電出力100万KWは、日本最大級とのこと
平成10年に完成した、未だ新しい発電所である

ここから現山陰道(国道9号線)に合流し
山陰道33番目の宿場・益田宿に向かう


(島根県浜田市三隅町岡見)

(0805/0807)


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