旧山陽道 2
長門・逢坂〜厚狭宿
長門・船木
逢坂
有帆川に架かる船木大橋を渡り、暫く行くと緩い上り坂になる
逢坂と呼ばれる坂である
(山口県宇部市船木)
長門・厚狭
西見峠
逢坂の頂上が標高57mの西見峠である
ここで宇部市から山陽小野田市に変わる
山陽小野田市は平成17年に
山陽町と小野田町が合併して出来た新しい市だ
山陽町は、昭和31年に厚狭(あさ)郡の
厚狭町と植生(はぶ)町が合併して出来た町である
どうも、目まぐるしく自治体名が変わっているが
旧山陽道の次の宿場は
山陽小野田市北部にある厚狭宿である
(山口県山陽小野田市厚狭)
長門・厚狭
厚狭宿
西見峠を下ると、すぐに旧山陽道の厚狭宿となる
厚狭川下流の厚狭盆地にある宿場町で
厚狭市が開かれ、商業町でもあった
和名抄にも郷名がある古くからの村である
古代には郡家(ぐうけ、郡役所)と山陽道の宿駅が置かれていた
近世には山陽道の宿場町であった
しかし、近世の厚狭郡の中心は前述の船木宿であったが
現在はJR山陽線や山陽新幹線の停車駅(厚狭駅)となり
再び、こちらが中心となっている
(山口県山陽小野田市厚狭)
裕念寺
右側に浄土真宗本願派の佛光山祐念寺
本堂と山門の屋根が特徴的であった
正面のドーム(上写真)には「倶会一處」と書かれている
ここは元、弥生式古墳のあった処で
祐念寺遺跡と記されている
(山口県山陽小野田市厚狭288)
厚狭宿町並み
山陽道の厚狭宿の中心である
古い家並みが続いていた
街道左側にある厚狭高校の敷地が
古代の厚狭郡の郡家(ぐうけ)跡と推定されている
(山口県山陽小野田市厚狭)
厚狭川・鴨橋
厚狭川に架かる鴨橋を渡ると、左側袂(下写真吉武医院前)に
古い道標が残されていた
「左 はぶ下の関、右 あつ」と刻まれている
「はぶ」は植生のことで、現在の山陽小野田市埴生である
埴生は、小月湾を臨む町で
古代の埴生駅家のあった処だ
またあつは、厚狭川の上流にある、美祢市厚保(あつ)である
旧山陽道はこの橋を渡って左折である
しかし、この先はJR山陽本線に遮られ歩行は不可能であった
仕方なく、線路に沿った正面(4枚目写真)の細い道を進む
旧街道の半分ぐらいの道幅の道である
この道を進むと、厚狭駅前に出る
2枚目写真は下流側でJR山陽本線と新幹線の鉄橋が見える
3枚目は上流側で国道2号線(現山陽道)の厚狭大橋である
(山口県山陽小野田市厚狭)
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