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旧山陽道 3

厚狭川・鴨橋〜JR厚狭駅




長門・厚狭

厚狭市街







厚狭宿跡を抜け、厚狭川に架かる鴨橋を渡ると
山陽小野田市厚狭の市街に入る

戦災を免れたのか、古い家並みが続いているところだ
1枚目写真左側は倉重呉服店

そして3枚目の写真は丹後屋福永薬局
創業120年、県下で最も古い薬屋とのこと


(山口県山陽小野田市厚狭)


JR美祢線



JR美祢(みね)線と道路が鋭角に交差している
美祢は厚狭川の上、中流域を占める市である

JR美祢線は厚狭と、美祢を経由して
日本海側の山陰本線長門とを結ぶ線だ

写真左奥がJR厚狭駅となる
高架は山陽新幹線だ

厚狭は山陽新幹線、JR山陽本線、そしてJR美祢線の停車駅となっている
古代山陽道の厚狭駅があり、ここは古代の山陰道との交点でもあった
昔も今も交通の要衝であったところだ

写真の左側(東側)には今でも条里制の遺構があるところである


(山口県山陽小野田市厚狭)


厚狭・街の駅





左手に、古民家を利用しての街の駅、チャリティーバザーと書かれている


(山口県山陽小野田市厚狭)


厚狭駅前通り







駅前通りが、駅の近くになると広くなっている
JR山陽本線厚狭駅前である

新幹線が停まる駅にしては静かな駅前である


(山口県山陽小野田市厚狭)



寝太郎像・慈眼像





駅前に寝太郎像と慈眼像が建っている

寝太郎(上写真)は、大内氏が4ヶ国の領主であった頃
厚狭川の沓村と云うところに堰を築き
水路を開いて千町歩の美田を作ったという伝承上の人物である

この人は物ぐさで、いつも寝ていたが、寝ながら考えたアイデアで
新しい草鞋を千石船一杯に用意して、佐渡金山に行き
無料で配ると共に古い草鞋を引き取ってきたという

その古い草鞋を持ち帰り、草履に着いていた砂金を集め
開発の資金としたとか

近くに寝太郎を祀った、寝太郎権現がある
また寝太郎公園や、恒例の寝太郎祭りもあるという

下の写真は、献眼を讃える碑である
12歳の時、日本で始めて角膜移植手術を受け、眼が見えるよう成った人の感動と
角膜を提供してくれた人と医師への感謝の気持ちが刻まれている


(山口県山陽小野田市厚狭)



厚狭駅前通り





駅前通りを、JR山陽本線の沿って西に向かう

右手にかつての山陽町役場がある
今は山陽小野田市の山陽総合事務所となっている


(山口県山陽小野田市厚狭)



旧山陽道へ






この先で、旧山陽道と合流している
次の宿場吉田宿への道となっている

吉田宿はこの正面の石山(248m)の右側にある


(山口県山陽小野田市厚狭)
0806/0808


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