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旧山陽道 6

木屋川〜小月宿




長門・小月宿

木屋川、浜田川





旧山陽道は吉田宿を出ると
木屋川(上写真、こやがわ)の右岸(西側)沿いの道となる

そして浜田川(下写真)を渡ると小月(おづき)宿となる
浜田川は下関市菊川町を水源とする短い河川である

平成11年の台風で、床上浸水150戸、床下浸水400戸があり
急遽高潮対策として、下の写真のような築堤が施されている

なお、小月宿は海に面した宿場で
現在のJR小月駅付近は海であった様だ


(山口県下関市小月)


小月宿・本町通り





小月宿の本町通である
旧山陽道は一旦この道に入り、すぐ右折となる

小月は小月湾に臨む木屋川の三角洲の上の
典型的な谷口集落で、木屋川流域の市場町であった

この本町通りは文字通り町の中心部を通る道で
丁度木屋川に平行して南北に走る道となっている


(山口県下関市小月本町)


小月本町家並み







小月の町並みと、下の写真は下関市役所小月支所である
この辺が、小月の中心街である

JR山陽本線の反対側の海側に、海上自衛隊小月航空基地がある
また、自転車の高級パーツで知られたシマノの下関工場(本社、大阪堺市)がここにある


(山口県下関市小月本町)


JR小月駅





JR山陽線の小月駅である
明治34年に山陽鉄道の厚狭と馬関駅間の開通と同時に開業している古い駅だ

下の写真は駅前を走る現在の山陽道(国道2線)である

ここで再び、小月本町に戻り、旧山陽道に復帰する


(山口県下関市小月駅前)



追分、古道標





本町本通りにある古い道標である

江戸仮名(変体がな)で書かれているため判読に苦しんだが
「右 かみかた道、 左 とよた道」と読めた

「とよた」が気になり調べてみると
木屋川上流の現在の下関市豊田町であった

小月が木屋川沿いに、流域の市場町として発展してきた様子が伺われる
説明板によると、この辺が旧山陽道の立場のあったところの様だ


(山口県下関市小月本町)



見廻り通り





本町通より、道標のところを西に入る
ここより旧山陽道は西に向かうことになる

この旧山陽道のこの辺は見回り通りと呼ばれていた

見廻り道は、下市から茶屋入口までの山陽道の一部で
下市は宿場街で、茶屋町は歓楽街であったため
治安のため、役人が定期的に見回っていた道であった


(山口県下関市小月本町)


小月観音参道




右の小高い丘の上にある清浄山観音寺、小月観音の参道である

兵庫県篠山市の宇土観音として名高い弘誓寺(ぐぜいじ)の
別院で、厄除けで知られている

もともとは地元の清末(きよすえ)藩主の守り本尊であった
拝殿の鰐口に元禄15年(1702年)とあるので
その頃が開山ではとのことであった


(山口県下関市小月公園町)


旧山陽道





さらに進むと、左側が小月茶屋町となる
かつては、茶屋や町屋が建ち並んでいたところだ

今はその面影は無く、静かな住宅街であった


(山口県下関市小月茶屋町)


小月茶屋






街道筋に割烹旅館菊の家があった
往時の名残であろうか

この辺が、小月宿の出口付近である

小月茶屋町を抜けると、下関清末(きよすえ)地区に入る
この地名は、此の辺に絶えることに無い湧水があったことによるとか

なお、清末は長州藩の支藩である長府藩のさらに支藩で
知行1万石で、陣屋がここにあった
長州藩の孫藩にあたり、老中との縁故で特別な例であった


この道を進むと、次は城下町長州藩の支藩・長府宿となる


(山口県下関市小月茶屋)
0806/0809


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略 図

経路 青線部











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