悠々人の日本写真紀行へ移動します

旧山陽道 8

城下町長府




長門・城下町長府


横枕小路





乃木神社を出て、右横の横枕小路に入る

樹葉に覆われた練塀の続く道で、長府を代表する練塀(ねりべい)のある小道だ

上の写真が入口で、下の写真が出口である
出口には横枕小路と彫られた案内の石柱が立っている

説明によると、乃木家もこの通りにあった由


(山口県下関市長府松小田本町)


国分寺跡





横枕小路の出口付近の旧家
ここを左に進むと、正面に長府国分寺跡がある

忌宮神社の裏手(北側)にあたる
かつての神社の境内で、国分寺や国衙、長門鋳銭所等があったようだ


(山口県下関市長府)


長府中学校と切り通し









国分寺跡より切り通しを西に、長府毛利邸、そして旧山陽道へと向かう

1枚目の写真は長府中学校
望潮台と呼ばれる高台の上にある
正面は練塀となっている

ここから、長府毛利邸までの道は切通しで
練塀の続く坂道となっている

4枚目の写真は切り通しにある菅家長屋門


(山口県下関市長府)



古江小路







切り通しの途中左手の古江小路である
練塀の続く石畳の道となっている

古江とは、かつて此の辺までは入江となっていたことによるそうだ


(山口県下関市長府)



旧毛利邸横切通し





ここで、切通しは旧山陽道にぶつかる
その角にあるのが、長府毛利氏の邸宅だ

毛利氏の一族毛利秀元に豊浦郡が分封され長府に本拠を置いたことから
秀元を藩祖とする長府藩5万石が成立し、以来幕末まで14代260年の治世が続いた

なお、居城はここではなく、当初は海よりの串崎城で
幕末は内陸部の田倉に勝山御殿を建て本拠としていた


(山口県下関市小月本町)


長府毛利邸正門






この長府藩邸宅は、明治36年に14代目の毛利元敏によって建てられたもので
明治天皇の西国巡幸の時の行在所に使用された

武家屋敷作りの、重厚な屋敷門と母屋である


(山口県下関市長府)


毛利邸庭園





長府毛利邸の回遊式庭園と母屋である

明治天皇が宿泊した部屋がそのまま残されている


(山口県下関市長府)

旧山陽道







長府毛利邸宅より正門前の旧山陽道に復帰する

次は壇ノ浦、そしていよいよ山陽道最後の宿場・赤間関である


(山口県下関市長府)
0806/0809


前へ 目 次 次へ


略 図

経路 青線部











悠々人の日本写真紀行

TOP 北海道 東 北 関 東 中 部 近 畿 中国四国 九州他