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旧山陽道 10

関門橋〜赤間神宮




長門・壇之浦


関門海峡・関門橋





上の写真は、夜明けの関門海峡である
ホテルの部屋より撮影したものだ

朝食を済ませ、火の山を下った
そして関門橋(全長1068m)の下を潜る(下の写真)

真近で、見ると流石に迫力があった

この橋は高速道路の橋であるが、一般道はこのやや左手の海底トンネルとなっている
このトンネルには人道が出来ており、関門海峡を歩いて九州側に渡ることが出来る

嘗ては、船で対岸に渡ったが、今はこのトンネルを歩いて渡ることが出来るのだ
距離で1km弱である
当然、利用させてもらった(別途掲載予定)


(山口県下関市みもすそ川町)


立石稲荷







旧街道を進むと左手に注連縄をつけた岩(立石)がある
烏帽子岩と呼ばれ、立石稲荷のご神体とのこと

道路を挟んで反対側に立石稲荷大明神(2枚目写真)がある
平家一門が都から下ってきた時に、京都伏見稲荷の分霊を祀ったものだ

境内には、平家の無縁供養塔が建てられている

立石稲荷を過ぎると、旧山陽道最後の宿場・赤間関宿となる


(山口県下関市壇之浦町)


壇之浦漁港







左手に壇之浦漁港
船だまりと船揚場が設置されいる

港の中央には蛭子神社が建立されてあった
蛭子は神話のイザナギ、イザナミの間に生まれた最初の子だ
中世以降、恵比寿様として尊崇されている

ご存知、七福神の一つで、海上・漁業と商売繁盛の神様である


(山口県下関壇之浦)



宮本武蔵出陣の地





宮本武蔵がここにあった船宿・伊勢屋に泊まり
佐々木小次郎との試合の為
小船でここより巌流島に出陣したという

今は懐石料理ふよう亭となっている


(山口県下関市壇之浦)


長門・赤間関宿

赤間神宮







壇之浦で入水した安徳天皇を祀った神社

江戸時代までは阿弥陀寺であったが
明治になって神仏分離令により天皇社赤間宮となった
さらに、昭和15年になり官幣大社となって赤間神宮と改称された

阿弥陀寺は現在も地名として残され、往時の名残が残されている

1枚目写真は水天門、2、3枚目は拝殿である
水天門は 竜宮城を模した神門のことで
水天の名称は、安徳天皇が水天宮の祭神とされることによる由


(山口県下関市阿弥陀寺町)


平家一門の墓、耳なし芳一堂






境内には、平家一門の墓がある
平家の武将には「盛」の付く名の者が多かったので七盛(しちもり)塚と呼ばれている

下は耳なし芳一堂である
小泉八雲(ラフカデイォ・ハーン)の平家伝説を基にした怪談「耳なし芳一」で
有名な盲目の琵琶法師、芳一の木造が祀られている


(山口県下関市阿弥陀寺町)


十三重塔、安徳帝稜





境内にある十三重塔と安徳天皇の御稜である

壇之浦に入水した時は、御歳わずか8歳であった


(山口県下関市阿弥陀寺町)
0806/0809


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略 図

経路 青線部











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