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旧山陽道 11

赤間関宿〜唐戸




長門・赤間関


日清講和記念館





赤間神宮を出て直ぐ右手に日清講和記念館(上写真)が建っている

明治28年、日清講和会議の開場となり、ここで下関条約が締結されたところだ
当時の備品や資料が無料で公開されている

下の写真は、街道左手にある唐戸市場である


(山口県下関市阿弥陀寺町、唐戸町)


亀山八幡宮







旧街道右手に関の氏神、亀山八幡宮

貞観元年(859年)に大分県の宇佐八幡宮(八幡宮の総社)の分霊を
勧請して創建された古社である

山陽道の最西端に位置し、大鳥居の周辺から九州へ渡航する船が出ていた
正に、赤間関宿の中心であった

また、藩の船番所が置かれていた
幕末にはこの境内に、海上防備の砲台が築かれていた

2枚目の写真は山陽道起点の道標
3枚目は床屋発祥の地記念碑である

北面武士藤原基晴の3男、采女之亮政之(うぬめのすけまさゆき)
新羅人の髪結からその技術を学び、ここで日本初の結髪所を開き生計を立てたという

立派な床の間があったので、「床の間のある店」が「床屋」になったという


(山口県下関市中之町)


下関港(赤間関港)







亀山八幡宮の大鳥居の前は、今でも海岸で下関港となっている
古代から、九州航路の港であった
又、近世は西廻り航路の北前船の寄港地でもあった

地名は平安時代から赤間関、長門関と呼ばれていた

明治22年に赤間関市が設置されたが
明治35年には下関市となった
其れにつれて、赤間関港から下関港と港名も変わっている

なお、赤間関は、古くから赤馬関、馬関、そして下関とも呼ばれていた様だ

3枚目写真の唐戸桟橋より、関門連絡船ふえありぃ号が
下関唐戸、門司間をわずか5分で結んでいる

一日40往復(片道390円)も出ている


(山口県下関市唐戸町)



唐戸市場、唐戸カモン・ワーフ







下関港の唐戸市場
昭和8年に開設された市場で、小売もしている

2、3枚目写真は下関カモンワーフ
レストランや海鮮物、土産物の店がある


(山口県下関市唐戸町)



唐戸町並み







唐戸の交差点

2枚目の写真は海運会社であった旧秋田商会ビルで、大正4年に建てられてもの

3枚目写真は元下関英国領事館である
現存する国内最古の領事館だ


(山口県下関市唐戸町、南部町)
0806/0809


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