悠々人の日本写真紀行へ移動します

旧長崎街道 1

関門海峡〜豊前・門司




長門・赤間関


下関みもすそ公園





関門橋の左下、下関みもすそ川公園(上写真)に隣接して
関門トンネルの人道入口がある

下関と門司を結ぶ海底トンネルだ
トンネルは、全長3461mであるが、海底部分は780mとなっている
国道2号線の車道と人道が、2層構造のトンネルだ

下の写真は、入口よりエレベーターで地下に降りたところで
ここから門司までトンネル人道が伸びている


(山口県下関市みもすそ川町)

豊前・門司

関門トンネル人道





関門トンネル人道は無料となっている
全長780mの薄暗い一本道だ

ウォーキングをしている人が多かった

略中央に山口県と九州・福岡県の県境がある
ここで、海面下58mと記されていた

いよいよ九州入りである


(山口県下関市)


門司側出口







関門トンネル人道の門司側の出口である
九州の玄関口・門司へようこその看板が印象的であった

ここよりエレベーターで地上に出る


(福岡県北九州市門司区)


関門海峡





エレベータで、地上に出ると、目の前に大きな鳥居があった
和布刈(めかり)神社だ
背後には巨大な関門橋である

関門海峡を挟んで、目の前に下関の火の山(下写真)が見えるところだ


(福岡県北九州市門司区)



和布刈公園







裏手の和布刈(めかり)公園に行ってみる
古城山(こじょうやま、175m)の山麓にあり、眼下に関門海峡が一望出来るところだ

古城山の頂上には、門司城(門司関山城とも)の本丸があった
平安末期に平知盛が源氏との戦いに備えて築城したのが始まりである

江戸時代になり、一国一城令により、藩主細川忠興の時
廃城となり小倉城に撤収された

対岸の左手の塔は下関の海峡夢タワーである(2枚目写真)

なお、和布刈とはワカメを刈る意味とのこと
神社名から来ている


(福岡県北九州市門司区)



和布刈神社






和布刈神社は、仲哀天皇9年(200年)の創建と伝えられている
古くは隼人明神、速門社(はやとものみや)、早鞆明神とも呼ばれていた様だ

和銅3年(710年)に神事で備えられたワカメが
朝廷に献上されたとの記録が残されているとのこと

古くからの海峡の守護神であった

この和布刈神社の一の鳥居付近には文字の関(門司の古称)が置かれていた
ここは九州の喉元に位置し、本州と相対する重要な地であった

古代から、京の都と遠の朝廷(とうのみかど)と呼ばれた大宰府を
結ぶ交通(大宰府路)の要地で、関所が置かれていた処である

そして大宰府路の最初の駅舎・社埼(もみさい)が旧門司に置かれていた


☆ ☆

今回は、ここから大宰府を目指して行く事にする

但し、古代の大宰府路は、今は辿ることが難しいので
近世(江戸時代)の旧長崎街道を行く事になる

なお、大宰府路の駅家は
社埼(旧門司)、到津(小倉城辺)、独見(八幡西区紅梅)、夜久(八幡西区永犬丸)、
嶋門(芦屋町芦屋)、津日(福津市畦町)、席打(古賀市青柳)、夷守(粕谷市内橋)、
美野(博多駅中央街)、九爾(博多区板付)、そして大宰府である
計10駅、約88.4kmの道程であった

九州(西海道)は、この大宰府から各地に古代道路(駅路)が伸びていた
文字通り京の都と同じように、大宰府が中心であった


(福岡県北九州市門司区)
0806/0809


前へ 目 次 次へ


略 図

経路 青線部











悠々人の日本写真紀行

TOP 北海道 東 北 関 東 中 部 近 畿 中国四国 九州他