悠々人の日本写真紀行へ移動します

旧長崎街道 2

豊前・小倉〜八坂神社




豊前・小倉


京町アーケード



城下町小倉の中心地域で北九州市一の繁華街である

ここ京町は紫川に沿った古くからの商人の町であった
隣接する魚町は、ここで荷揚げされた魚の「せり市場」であったところだ

魚町銀天商店街は、昭和26年にアーケードが
完成し、日本初のアーケードを持った商店街であった
かつての城下町で、付近には紺屋町、船場町、馬借町等の町名が残されている

小倉は昭和38年、門司、若松、戸畑、八幡の4市と合併し
北九州市小倉区となった

古代からの交通の要衝で、律令の駅制ではこの地に
大宰府路の至津(いとうづ)駅のあったところである
重要な交通路で、大宰府路と豊前路の分岐点でもあった

慶長7年(1602年)に細川忠興が入封
その後譜代の小笠原氏が入り、10代230年にわたり
15万石の城下町小倉として発展してきた


(福岡県北九州市小倉北区)


JR小倉駅前







JR小倉駅前の祇園太鼓銅像である
八坂神社の大祭で小倉祇園太鼓が豪壮にたたかれる

映画「無法松の一生」でも御馴染みだ

♪小倉名物 太鼓の祇園
太鼓打ち出せ 元気出せ
あっやっさ やれやれやれ〜

2枚目の写真は、北九州高速鉄道小倉線(モノレール)だ
小倉北区の小倉駅から小倉南区の企救丘(きくがおか)駅まで
8.8kmを19分で結んでいる

年に一度、「ビール列車」や「ワイン列車」が運行して
車内でアルコール類が振舞われれるとのこと

終点の企救は、小倉の語源となったところで
浜辺は古代路が通っており
白砂青松で知られた浜辺であった

この比救の浦がこくの浦となり、転訛して小倉となった様だ


(福岡県北九州市小倉北区)


紫川、常盤橋



紫川のほとりに出た

上の写真が常盤橋で近世(江戸時代)の長崎街道、中津街道
秋月街道、唐津街道、そして門司往還の起点でもあったところだ

さらにここが本州への渡船場でもあった
九州交通路の要で大きな宿場町であった

九州諸大名やオランダ商館のカピタン行列、長崎奉行達が
ここで船に乗り、関門海峡を渡っていた
そのため、本陣が数十軒もあったという

現在の橋は平成7年に江戸時代と同じ木の橋で掛けられたものだ


(福岡県北九州市小倉北区)


紫川、鴎外橋





紫川の少し上流の鴎外橋である
小倉城が見えるところだ

この橋の袂に、森鴎外文学館がある
森鴎外(本名、森林太郎)は、明治32年から約3年間
ここにあった小倉の大2師団軍医部長として赴任していた

小倉が舞台の「鶏」、「独身」、「二人の友」が
小倉三部作として知られている

其の他、城内には立派な松本清張記念館が出来ている
北九州氏出身の氏の業績を讃えたものだ
芥川賞を受賞した−「或る「小倉日記」伝−が知られている

上の写真は、鴎外橋中央部より上流側を撮ったものである

なお、紫川は小倉南区の福智山(901m)を水源とする2級河川だ
川名は、小倉南区蒲生の大興禅寺の門前に
かつてあった、歌枕の「紫の池」からとのことである


(福岡県北九州市小倉北区)



小倉城庭園





紫川の鴎外橋を渡ると、目の前が小倉城庭園となっている

この庭園は小倉城主の下屋敷(したやしき)跡に
江戸時代の大名屋敷と池泉回遊式 ちせんかいゆうしき ) の庭園を再現したもの

なお、下屋敷とは城主が茶や能を楽しんだり、客を接待するところであった


(福岡県北九州市小倉北区)



大手門、槻門跡







本丸に入ってみる

本丸の回りには松の丸、北の丸、二の丸、三の丸を配したもので
慶長7年(1602年)、細川忠興が以前からあった城を大改修したもの

寛永9年(1632年)以降は小倉藩15万石、小笠原氏の居城となった


2枚目写真が大手門跡で、2枚目が槻門跡である

槻は欅の古名である
欅で出来た門があったのだろうか


(福岡県北九州市小倉北区)



小倉城天守閣






小倉城天守閣が昭和34年に再現されている

元の天守は屋根に破風を付けず
4,5階部分には屋根が無く、四方白壁のままと言う独特なもので
唐造りとか南蛮造りと呼ばれていた

但し、再建された天守はしっかりと屋根と破風がついている

下は、本丸跡にあった茶筌塚
旧小倉市の茶道の小笠原古流、千家表、裏流等の有志が
古筌を此処に集め供養した処とのこと


(福岡県北九州市小倉北区)



八坂神社








小倉城の着見櫓から多門口を抜けると
左側(西側)に小倉祇園太鼓で有名な八坂神社がある

細川忠興が元和3年(1617年)に
城の守護紳として、また豊前国の総鎮守として創建したもの

元は旧小倉市の鋳物師町にあったものを
昭和6年、ここに移転したとか

ここは、北の丸のあったところである


(福岡県北九州市小倉北区)



JR西小倉駅前






八坂神社を抜けると、室町と成る
近くにJRの西小倉駅があるところだ

先の信号(上の写真)を直進すると若松、戸畑で、
左に曲がると現在の唐津街道(国道3号線)である

旧長崎街道の次の宿場は黒崎宿である
なお、旧唐津街道は
旧長崎街道の佐賀から牛津へ向かう途中で右に分岐していた


(福岡県北九州市戸倉北区)
0806/0810


前へ 目 次 次へ


略 図

経路 青線部











悠々人の日本写真紀行

TOP 北海道 東 北 関 東 中 部 近 畿 中国四国 九州他