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旧長崎街道 6

筑前・二日市~大野城~都府楼前・関屋橋




筑前・筑紫野

JR二日市駅前





飯塚宿から内野宿を経て、標高冷水峠を越え、筑紫野市の山家(やまえ)宿で
長崎街道から別れ、今回の目的地である
古代の西街道(さいかいどう、九州)の中心・大宰府に向かう

写真は、その途中にある鹿児島本線二日市駅前である
ここは筑紫野(ちくしの)市の中心である
大宰府の南辺にあたり、万葉集にも当地に関する和歌が多く収録されている

7世紀頃までは、筑紫国の中心であった
その後、筑前と筑後の2カ国に分割されたところだ

二日市の地名は六斎市の開催日から来ている
古くからの宿場町、市場町であった

駅前の時計塔には、「万葉といで湯の郷、ちくしの」と書かれてあった
近くの二日市温泉(武蔵温泉)は、古代から知られた温泉である


(福岡県筑紫野市二日市)

筑前・大野城

JR大野城駅



鹿児島本線JR大野城駅

大野城は、大宰府政庁の背後(北側)の四天王寺山脈にある山城だ
飛鳥時代に築城されたもので、古代朝鮮式山城である

防人で知られた水城(みずき)とともに大宰府政庁を守る城であった

大野城が山城であるのに対し、水城は博多湾に繫がる御笠川からの
敵の侵入を守るために設けられたものだ
天智紀に「大堤を築きて水を貯えしむ、名づけて水城と曰う」と記されている

大宰府は、白村江(はくすきのえ)の敗戦後に創建されたと言われ
当初は新羅、唐等の外敵が博多湾から攻め込んでくるのを防ぐために作られた様だ


(福岡県大野城市白木原)


白木原





此方は西鉄の白木原(しらきばる)駅である
近くに、国指定特別史跡の水城跡があるところだ

この辺では原を「ばる」と読む地名が多い様だ
前原市も「まえばる」と言う

ここより都府楼(とふろう)前駅に向かう
大宰府政庁のことを此方では都府楼と呼んでいる

現にJR鹿児島本線には都府楼南駅があり
西鉄天神大牟田線には都府楼前駅がある


(福岡県大野城市白木原)

筑前・太宰府

都府楼前駅





西鉄の天神大牟田線の都府楼前駅である
大宰府最寄の駅である

ここから大宰府政庁跡までは、約700mである


(福岡県太宰府市通古河)




関屋橋、大鳥居と古道標







都府楼前駅を出て御笠川に架かる関屋橋を渡ると
右手に大きな鳥居と古い道標がある

この鳥居は、幕末の福岡藩主黒田長博が寄進した大宰府天満宮の一の鳥居である
傍にある道標は、元禄年間(1688~1704年)のものとか

右の道標には「是ヨリひがし さいふ」と彫られてある
中央の道標は「天満宮是より二十丁」、左は「都府楼、明治七年五月架、谷彦算」と読める

なお、橋名は古代から中世にかけて、ここに苅萱(かるかや)の関があったことによる


(福岡県太宰府市観世音寺)



道標、学業院中





御笠川川に架かる関屋橋を渡ると道案内板がある

苅萱の関跡 0.2km、水城跡 1.4km、大宰府政庁跡0.8km
観世音寺1.3kmと標示されている

下の写真は学業院中学校の立派な校門である

校名の由来は、大宰府政庁の役人養成学校であった学業院からきている
私立ではなく、大宰府市立中学校である


(福岡県太宰府市観世音寺)
0806/0811


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略 図

経路 青線部











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