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日光道中ぶらり徒歩の旅 4

島根〜竹ノ塚〜草加市谷塚



足立区


梅島・旧日光街道



東武伊勢崎線の梅島駅に到着したのが朝の8:00
日光道中徒歩の旅の再開である

朝の旧街道は空気も澄んでいて快適であった
街道沿いは一戸建ての多い住宅街となっているところである


東京都足立区梅島二丁目)




国土安穏寺



街道左手に国土安穏寺がある

朱の門の扉には大きな金の葵の御紋
そして屋根瓦の一つ一つにも葵の紋が浮刻となっている

ここは将軍家の日光参詣の時の御膳所であったところだ
家光より、寺紋として葵の使用を許され
寺号も従来は妙見寺であったが「天下長久山安穏寺」と改められた由

なお、御膳所とは、食膳を調るところである


東京都足立区島根)


鷲神社



さらに進むと左手に鷲神社がある
鷲神社は文京2年(1318年)の創建
島根囃子で知られたところ

古代では、この辺は海岸線で
島の根のように海岸に突出していたこの地域を
島根と呼ぶようになったとか

東京都足立区島根四丁目)




西保木間



島根を過ぎると、隣は竹の塚となる
大きな団地で知られたところだ

写真は竹ノ塚の次の西保木である
この左手に足立清掃工場のあるところで、大きな煙突が遠くから望め
街道歩きの良い目印であった

この先の毛長川を渡ると東京から埼玉県に変わるところだ


{東京都足立区西保木間))




水神宮





東京と埼玉県の堺となっている毛長川である
川の側には、古い水神宮があった


この川に架かる水神橋を渡ると、埼玉県草加市となる


{東京都足立区西保木間)



草加市谷塚



浅間神社



埼玉県に入ると草加市谷塚(やつか)となる
元の北足立郡谷塚町で、昭和30年に草加と合併し草加市となった

少し進むと、右手に浅間神社がある

古い神社で、ここの能舞台の千鳥破風と軒唐破風は
なかなか凝ったものであった

天保13年(1842年)創建、市の指定文化財となっている


(埼玉県草加市谷塚)




御嶽神社





浅間神社の裏手に御嶽神社がある

鳥居の前の柳が見事であった


(埼玉県草加市谷塚)




火あぶり地蔵



さらに進み、草加市谷塚と吉野の堺に
火あぶり地蔵がある

奉公に出ていた娘のところに母が危篤との知らせが入り
主人に会いに行きたいと願い出たが許されなかった

主人の家が焼けてしまえば、家に帰れると火をつけたが
捕らえられ火あぶりの刑となってしまった

その娘を哀れみ、村人が建てたのがこの地蔵尊とのことである


吉野に入ると、すぐ日光道中2番目の宿場草加宿となる


(埼玉県草加市谷塚)

0710/0712

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略 図

経路青線部 距離4.57km











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