悠々人の日本写真紀行へ移動します

日光道中ぶらり徒歩の旅 6

綾瀬川




綾瀬川


伝右川



草加宿を出て、伝右川に架かる橋を渡ると
目の前が綾瀬川の札場(ふだば)河岸公園となっている

写真の中央は河岸公園の望楼である

丁度、この伝右川と綾瀬川の接するところにあり
江戸への水運の盛んな所であった


(埼玉県草加市神明)




札場・綾瀬川河岸



草加の札場河岸跡である
穀倉地帯であるこの地より、米を江戸に運ぶ重要な拠点であった

ここに高札場があったことから札場河岸と呼ばれていた



(埼玉県草加市栄町)



松尾芭蕉ブロンズ像



街道に面して松尾芭蕉のブロンズ像

元禄2年(1689年)46歳の芭蕉は
門人の曾良を伴い奥州に向けて
江戸・深川を船で発ち、千住より歩いて
最初の宿が草加宿であった

奥の細道に
「その日やうやう早加(草加)といふ宿に
たどり着けにけり」と書かれている

江戸を振り返った像という
像の製作者は彫刻家の麦倉忠彦氏である


(埼玉県草加市栄町)


矢立橋





綾瀬川沿いの旧道が遊歩道として整備されている

大きな橋は矢立橋と言い、綾瀬川では無く
国道29号線の上を跨ぐ陸橋である

しかし、見事な橋で上からの眺望も素晴らしいところであった


(埼玉県草加市栄町)




綾瀬川・松並木



矢立橋から前方を見た写真である
見事な松並木が続いており、日本の道百選に選ばれている

この松並木は、天和3年(1683年)、関東郡代伊奈半右衛門が
綾瀬川改修の折、約1.5kmに渡り松を植えたものである


(埼玉県草加市栄町)




百代橋と芭蕉文学碑





百代橋は松原文化通りに掛かった陸橋である
前述の矢立橋と同様、奥の細道に因んだ橋名となっている

橋を降りると左手に、その松尾芭蕉の文学碑があった


(埼玉県草加市栄町)




水原秋桜子句碑





さらに進むと、水原秋桜子(しゅうおうし)句碑である
草加の地名を読み込んだ作品4句の内、草加煎餅の句を選んで
刻んだと説明にあった

なお、秋桜子は本名水原豊(明治25年生)で
俳人であり医師であった人だ


(埼玉県草加市栄町)



かさね橋





上を重なって走っているのは東京外環自動車道である

この橋を潜ったところに松尾芭蕉を記念した
絵タイルがあった
奥の細道の旅を想像して描いたとある

ここを過ぎると、今まで続いた松並木が途切れ
桜並木となっている

草加市を抜け、少し進むと越谷市となるところである


(埼玉県草加市旭町)

0710/0712

前へ 目次 次へ


略 図

経路青線部 距離1.80km











悠々人の日本写真紀行

TOP 北海道 東 北 関 東 中 部 近 畿 中国四国 九州他