3越谷宿
越谷宿入口
ここを左に入ったところが、日光道中3番目の宿場、越谷宿の入口である
越谷とは、台地の麓の低湿地帯に位置する意である
古利根川と綾瀬川に囲まれた地で、中央に元荒川が蛇行して流れる水郷地帯(低湿地帯)であった
今は日比谷線と東武伊勢崎線が相互乗り入れし
宅地化が進み、一大ベッドタウンとなっている
上の写真の左側の木立のあるところは照蓮寺で
天正19年(1511年)に建てられたものだ
墓所に武田勝頼の遺児千徳丸の供養五輪塔が
建っていることで知られた寺である
(埼玉県越谷市瓦曾根)
越谷町並み
越谷宿の町並みである
写真は上から、今でも営業している老舗の旅館白屋、大正時代の建物の横田診療所
道具、トタン、釘などを商う会田金物店、そして一番下が鍛冶忠商店である
越谷の伝統工芸品は、ひな人形、だるま、そして桐たんすとのこと
もちろん、その面影は感じられなかった
(埼玉県越谷市越谷)
元荒川・大沢商店街
元荒川にかかる大橋である
この右手に町名で御殿町と言うのがある
徳川家康が建てた越谷御殿の在った処である
日光参詣の折や鷹狩りで利用されていた
越谷宿は、日光道中では一番賑やかな宿場であった由
元荒川を渡ったここ大沢(下写真)は
本陣と脇本陣があったところであるが、何の案内も無かった
(埼玉県越谷市大沢)
元荒川、桜堤通り
東武伊勢崎線のガードを潜ると
目の前に元荒川の土手がある
桜堤通りと呼ばれ、桜の名所となっている
(埼玉県越谷市北越谷)
元荒川、宮内庁埼玉鴨場
右正面に見えるこんもりした杜の奥が宮内庁の埼玉鴨場(御猟場)である
下の写真は、その正面入口だ
ここは元幕府と御三家の紀州藩の鷹場で
明治41年に現在の埼玉鴨場として開設されたとのこと
此の辺一帯は野鳥が今でも豊富で
マガモ、オナガガモなども冬になると多数飛来してくる
また、シラコバトは天然記念物に指定されている
戦前までは関東一円に生息していたが
現在は越谷周辺のみとなってしまった様だ
(埼玉県越谷市北越谷町)
越谷だるま、下間久里踏切
さらに進むと左手に越谷だるまの中村商店があった
越谷だるまは、280年前、間久里(まくり)の人形師だる吉が
従来からあった玩具の起き上がり小法師に
座禅を組んだ達磨大師の姿をとりいれたのが始まりとのこと
江戸時代は武州だるまとして人気になったと言う
(埼玉県越谷市下間久里)
香取神社
東武伊勢崎線の踏切を渡り、国道4号線(日光街道)の下を潜ると
右手に香取神社がある
下間久里の獅子舞で知られたところだ
毎年7月15日に、3頭立ての獅子が村を回るという
余談であるが、此の辺の日光道中沿いは香取神社が多い
かつてはこの辺は下総に属していたからであろう
因みに旧中山道沿いは圧倒的に氷川神社である
そして、中間の元荒川沿いは久伊豆(ひさいず)神社となっている
地図で確認すると、見事なまでに南北に区分され
三社が互いに祭祀圏を犯さないようになっているのが解る
小さな発見であった
それにしても下間久里(しもまくり)とは
一度聞いたら忘れられない地名である
(埼玉県越谷市下間久里)
せんげん台駅前
今回は、辺りもすっかり暗くなってきたので
此処で街道歩きを中断した
東武伊勢崎線のせんげん台駅である
ここから日比谷線直通の電車に乗り帰宅した
なお、せんげん台駅の近く(南側)にも香取神社があった
(埼玉県越谷市千間台東)
0710/0712