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日光道中ぶらり徒歩の旅 9

千間堀〜4粕壁




越谷


せんげん台駅



東武伊勢崎線のせんげん台駅
朝の8:10に到着、ここより旧日光街道に復帰する


(埼玉県越谷市千間台東)



春日部


千間堀戸井橋、会之堀川





新方(にいがた)川に架かる戸井橋を渡ると春日部市に入る
ここから暫くは会之堀川沿いの道となる

新方川は中川に流入する川(一級河川)である
低平地を流れる農業用の排水専用の川で、かつては千間堀と呼ばれていた

排水用水路であるので、この新方川に流れこむ排水路が非常に多い
下の写真の会之堀川も新方川に流れ込んでいる

古くは、元荒川の左岸と古利根川の右岸に囲まれた地域が
新方領で、当時は新方領の農業用水であった


(埼玉県春日部市大枝)




歓喜院



街道に面した歓喜院の大きな松ノ木

ここが岩槻への追分となっている
右に行くと千葉県の野田である


(埼玉県春日部市大枝)




大落古利根川、賃取橋(藤塚橋)





備後に入ると大落古利根(おおおとしふるとね)川沿いの道となる
中川支流の一級河川で、かつては武蔵国と下総国の国境であった

名前のとおり、かつては古利根川の流路の一つであった
数多くの落とし(農業排水路)が流入していたので
大落しと呼ばれていた


下の写真はこの川に架かる藤塚橋で
かつては有料橋で賃取橋と呼ばれていた

この辺に一里塚があったという


(埼玉県春日部市備後東)

4粕壁宿


東陽寺



粕壁宿の入口にある東陽寺

松尾芭蕉が泊まった寺として知られている
山門横には「伝芭蕉宿泊の寺」との石柱があった

奥の細道では草加に泊まったことになっているが
随行した曽良の日記には粕壁となっている

境内にの石碑(写真の下部階段横)には
「二七日夜カスカベニ泊ル 江戸ヨリ九里余」
と曽良の日記の一節が彫られてあった


(埼玉県春日部市粕壁東)




4粕壁宿



国道4号線から別れ、東陽寺の左へ入る
此方が旧日光道中である

粕壁宿は本陣1、旅籠45軒の比較的大きな宿場であった

粕壁の地名は、当地を納めた新田義貞の家臣
春日部氏の名前から来ている

蛇足であるが、地名が粕壁から春日部となったのは昭和19年である


(埼玉県春日部市粕壁東)




粕壁宿船着場跡





大越古利根川の粕壁船着場跡である
粕壁は宿場として、また水運を利用した商業の町として発展してきた

下は船着場を見守る碇(いかり)神社
境内の古いイヌグス(写真左の木)は、埼玉県指定の天然記念物となっている


(埼玉県春日部市粕壁東)




粕壁宿旧家









かつての粕壁中心地である
今でも古い建物が残されている地域だ

2枚面写真は旧家田村本家で
その前の古い道標には
「東西い八つき、北日光、東江戸、右之方陸羽みち」と刻まれていた


(埼玉県粕壁市粕壁)




最勝寺





最勝寺本堂の左手にある墳丘には
この地の地頭であった春日部重行を葬られているという

境内が広く、明治になってからは小学校や税務署が建ち
大相撲の巡業やサーカス、芝居等にも利用されていた由

この辺一帯は5つの寺院が集まっており
粕壁の寺町と呼ばれていたところである


(埼玉県春日部市粕壁)




大落古利根川、新町橋



最勝院の前を抜けると大落古利根川の土手に出る

大落古利根川に架かる新町橋を渡ると
粕壁と別れ、小渕に入る


(埼玉県春日部市粕壁)
0801/0802


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略 図

経路青線部 距離6.85km











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