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日光道中ぶらり徒歩の旅 11

幸手・上高野〜5幸手宿




幸手


幸手市



杉戸町の高野台を過ぎると幸手市に入る

幸手の地名は、日本武尊がこの地の薩手ヶ島に上陸した
という伝承により幸手となったと言われている

幸手は関東平野の略中央の町で
利根川に近く、全市の海抜がすべて15m以下の低地帯となっている


(埼玉県幸手市上高野)




東武日光線踏切、上高野村道路元標





国道4号善(現日光街道)より左に入る
目の前に東武日光線の踏切を渡ると、幸手市南公民館がある

その前に、上高村道路元標(下の写真)がある
道路元標は、市町村の道路の起点で
この地点から他の地点までの距離測定の基準となっているものである


(埼玉県幸手市上高野)




上高野集落





旧上高野村(現幸手市)の集落である

ここで日光道中と、江戸より川口、鳩ヶ谷、岩槻経由の日光御成道と合流する
御成道は東照宮に参詣する代々の将軍が通行する道である


(埼玉県幸手市上高野)




神宮寺





合流してすぐ左に神宮寺がある

頼朝が欧州征伐の時、ここで鷹狩りをし、
薬師如来に戦勝祈願した

その時開基したのがこの寺で
鷹尾山誓願院(せいがんいん)神宮寺と名前が付けられたとのこと
当時は大きな寺で、この辺一帯の地名が
神宮寺村と呼ばれるほどであった

古い石仏が参道に並べてあった


(埼玉県幸手町上高野)
6幸手宿

倉松川





倉松川は中川の支流である

かつては倉松村(現杉戸町)の落とし(農業廃水路)で
倉松落しと呼ばれていた

この倉松川を渡ると、日光道中6番目の宿場幸手となる


(埼玉県幸手市)




幸手、明治天皇行在所



倉松川に架かる志手橋を渡ると
直ぐ左手に明治天皇行在(あんざい)所跡が残されている

明治14年の山形、秋田、北海道巡幸の際の行在所である


(埼玉県杉戸町本郷)




一色館跡、一色神社



古河公方足利氏の家臣一色氏の館跡である

一色稲荷(陣屋稲荷とも)は、館の巽(南東)の方向に
建てられた一色氏の守り神と伝えられている

今回は、日光道中歩きをここで中断して
東武日光線の幸手駅に向かう


(埼玉県杉戸町)




幸手駅



東武日光線の幸手駅である
開設当時のままの平屋建ての駅舎とのこと

駅前は工事中であった

ここから地下鉄の半蔵門線直通の電車が出ているのには驚いた
乗換え無しで渋谷まで行けるのは楽であった


(埼玉県幸手市)
0801/0803

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略 図

経路青線部 距離5.19km











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