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日光道中ぶらり徒歩の旅 14

7栗橋宿〜利根川




栗橋


顕正寺





国道125号線の下のトンネルを潜ると広い道になる
栗原町である

街道右側にあるのが顕正寺(下写真)
栗橋宿を開いた名主池田鴨之助の墓があるところだ


(埼玉県栗原町東)




7栗橋宿







日光道中7番目の宿場栗橋宿に入る

栗橋宿は日光道中唯一の関所があったところである

また、奥州平泉にいる義経の後を追った静御前がここで義経の死を知り
この地の光了寺で義経の菩提を弔いながら
22歳の短い生涯を終えた処としても知られている

栗橋駅の前には、今でも静御前の墓がある
なお、光了寺はその後、利根川を渡った古河(中田宿)に移動している(後述)


(埼玉県栗橋町中央)




本陣跡



前方に八坂神社が見えてきた
この辺に本陣、脇本陣があった

なお本陣を勤めた庄屋の池田家は今でも代々続いている由


(埼玉県栗原町北)




八坂神社





街道に正面に八坂神社がある
元の牛頭天王社で、栗橋宿の鎮守であった
明治維新になり、現在の八坂神社と改称されている

境内には浪除八幡宮、水神社もあり
また、樹齢300年以上の欅の大木は見応えがあった

ここは狛犬では無く、鯉であるのには驚いた
一対の鯉には「除災の鯉」、「招福の鯉」(下写真)と書かれている

中山道の浦和宿にあった調(つき)神社が
兎であるのもユニークであった


(埼玉県栗橋町北)


栗橋関所跡





利根川の土手に栗橋関所跡があった
次の宿場中田宿に渡る渡船場の手前にある関所である

東海道の箱根、中山道の碓氷と並ぶ関東三大関所の一つであった

下の写真は関所跡の土手より栗橋宿を振り返ったものだ


(埼玉県栗橋町北)


利根川橋






土手の上に出ると目の前に、国道4号線の利根川橋がある

かつては此の辺は房川(ぼうせん)と呼ばれ、房川の渡しのあったところである

今は渡しは無いので、この利根川橋を渡る
橋の略中央に県境の標識があった

ここより茨城県となる
かつての武蔵国と下総国の国境である


(埼玉県栗橋町北)



中田


利根川橋より





利根川橋より上流側を見た写真である
正面の鉄橋はJR東北本線(宇都宮線)である

雪を被った赤城山(上の写真)、そして日光連山である
一際高い山が日光の男体山(下の写真、右端、2486m)である

今回の徒歩の旅はこの男体山の麓の日光を目指している
まだまだ先は長い道のりである

尚、日光道中8番目の宿場中田宿の南側は
この下の写真の河原の部分となっているとのこと


(茨城県古河市中田)

0803/0805

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略 図

経路青線部 距離1.58km











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