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日光道中ぶらり徒歩の旅 15

8中田宿〜古河一里塚




中田


8中田宿





利根川橋を渡るとかつての下総国である
土手の下に中田の集落がある

かつての日光道中8番目の宿場、中田宿が河川改修で
ここに移動したためである

以前の中田宿の殆どは現在の利根川の河原と堤の下となってしまった

中田宿は、利根川の東岸にあり
対岸の栗橋関所を控えた渡し場として重要視されていた

また、この中田宿は田山花袋の「田舎教師」の
舞台となった遊郭があったところでもある

利根川の土手を下ると
旧街道は、北進する真っ直ぐな一本道となっている

なお、中田〜古河地域は、現在は茨城県となっているが
以前は下総国(千葉県)であった

明治8年に下総の内
利根川の北側地域が茨城県に編入されたからである


(茨城県古河市中田)




鶴峰八幡宮





鶴峯八幡宮は中田宿の鎮守である

源頼朝が鎌倉の鶴岡八幡宮の神主高橋氏に創建させたという
その後、天福2年(1234年)には下総一の宮である香取神宮も祀って、
八幡と香取の相殿となった

神社に伝わる永代太々(だいだい)神楽は、古河市の無形文化財に指定されている


(茨城県古河市中田)




光了寺





静御前の所縁の寺として知られている

静御前が後白河上皇から下賜された
舞衣が今でも保存されている

光了寺は寺伝によると
弘仁年間(810〜823年)、弘法大師により創建されたとのこと

元は栗橋宿にあったが、利根川改修のためここに移転したようだ


(茨城県古河市中田)




本願寺



街道右側に浄土宗本願寺

日光道中では、浄土宗の寺が目立った
徳川家の菩提寺の宗派が浄土宗であるからであろうか


(茨城県古河市中田)

古河



中田踏切、茶屋新田





JR東北本線(宇都宮線)の中田踏切を渡ると
古河市茶屋新田となる

将軍秀忠が日光参詣の時
仮の茶屋を設けたのが名の由来とのこと

なお余談ではあるが
新田とは江戸時代以降に開墾された田地を言い
中世以前は墾田と言った


(茨城県古河市茶屋新田)


三峯神社(香取神社)




茶屋新田の外れに三峯神社
しかし、境内社と石碑には香取神社とある

地図では三峯神社となっている
不思議だ


(茨城県古河市茶屋新田)



坂間企業団地、大堤





古河市茶屋新田から大堤に入る
左側に坂間企業団地のあるところだ

右手直ぐ側をJR東北本線が走っている



(茨城県古河市大堤)




国道354号線原交差点





雑木林の間の道を行くと前方に国道354号線の原交差点が見えてきた

この辺から、古河の市街地となっている


(茨城県古河市原)



古河一里塚






交差点を渡ると、右手前方に県立の古河第二高校見えてくる

手前のこんもりしたところがかつての一里塚である

高校の敷地内で、青い金網で囲まれているから
保存は良いが、何んとも見えにくい一里塚だ

一里塚を後にすると、直日光道中9番目の宿場・古河宿となる


(茨城県古河市幸町)

0803/0805

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略 図

経路青線部 距離4.85km











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