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日光道中ぶらり徒歩の旅 16

9古河宿〜JR古河駅




古河


長谷観音参道





古河の一里塚を過ぎると、古河の市街に入る
かつての古河城下町である

市街に入ると、左側に長谷観音参道(上写真)がある
長谷観音は、古河城の鬼門除けとして明応2年(1493年)に
古河公方足利成氏が鎌倉の長谷寺より勧請したもの
日本三大長谷観音の一つと言われている

下の写真は、参道より右に入る道で
正面は古河城の諏訪廓のあったところだ
左の見事な塀は、古河城の家老鷹見宅跡である


(茨城県古河市長谷町)




鷹見泉石記念館







古河城の家老であった鷹見泉石(たかみせんせき)の屋敷跡で
今は鷹見泉石記念館として公開されている

鷹見泉石は、主君の土井利位が大坂城代の時
大塩平八郎の乱捕縛の指揮を執った人で、隠居後は蘭学に勤しんだ由


(茨城県古河市中央町)




歴史博物館、古河文学館





古河城の大部分は、渡良瀬川の改修工事によって水没してしまった

古河城出城に当たる、諏訪廓跡に建てられたのが
この「古河歴史博物館」である

前述の古河藩家老鷹見家の資料を中心に
古河公方の興亡から、近代古河の発展の歴史等が展示されている

下の写真は、その隣にある「古河文学館」である
古河は万葉集にも詠まれ、近世では里見八犬伝の舞台となるなど
古くから多くの文学作品に描かれてきた

それら古河が舞台となった作品や
古河所縁の作家の作品や肉筆原稿等を集め展示されている


(茨城県古河市中央町)



9古河宿


篆刻美術館、街角美術館







古河城下町の中心街である
2枚目の写真は街角美術館で古河所縁の画家や
市民の創作活動の発表の場となっている

3枚目の写真は日本で始めての篆刻専門の美術館である
大正9年に建てられた3階建ての石倉を改修して利用している

なお、篆刻とは、700年前に中国で興った漢詩などを
篆書という古文字を用い、小石に刻んで押印したものだ

建物は国の登録文化財となっている


(茨城県古河市中央町)


古河宿町並み







古河は当初下河内氏が支配し
その後室町時代は関東足利氏嫡流の古河公方(くぼう)が5代に亘り統治した

江戸時代に入ってからは、日光奥州街道の要として
小笠原、本多、土井氏などの老中格の譜代大名が配置され
北関東の要衝として栄えて来たところだ

なお、古河の地名は未開地を意味する
空閑(くが)から転訛したとか
万葉集にも「麻久良我(あくらが)の許我(くが)の渡し〜」と表現されている

しかし、古河はもと猿島(さしま)郡であり、これからしても
湿地帯の中の島のような地域(台地)であるから
陸(くが)より転訛したと見る方が良い気もする


(茨城県古河市中央町)


本陣跡、問屋場跡






古河宿本陣跡(上、下左写真)である
下の右写真は、道路(県道261号線)の反対側にある問屋場跡である


(茨城県古河市本町)




JR古河駅前





ここで街道歩きを中断し、古河駅に向かう

古河駅は東北本線で唯一の茨城県に属する駅だ
埼玉の栗橋駅、茨城の古河駅、栃木の野木駅と
3駅連続して、県名が変わる珍しい区間となっている

今回は、ここより新宿湘南ライン経由で帰宅する


(茨城県古河市本町)

0803/0805

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略 図

経路青線部 距離2.2km











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