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日光道中ぶらり徒歩の旅 17

JR古河駅〜下総・下野国境




古河宿


旧日光道中・枡形





JR宇都宮線古河駅に8:30到着
日光道中に復帰する

本陣跡、問屋場跡を過ぎると直ぐ旧街道は左折となる
歩道の車避けに、「左日光道」と書いてあるのは、ありがったかった
(下写真、左手)

所謂旧宿場町特有の道が枡形になっているところで
古地図が無いとわかりにくいところである


(茨城県古河市中央町)




古河宿・道標



左折するとすぐ左に古い大きな道標があった
「左日光堂、右江戸衛」と刻まれている

この道標は文久元年(1861年)、太田屋源六が願主となり
八百屋儀左衛門他11名によって建てられた物
常夜灯形式の道標として珍しいものであった


(茨城県古河市中央町)




よこまち柳通り






旧日光道中はこの先を右折すると一本道となる

2枚目の写真右側の道標には「よこまち柳通り」と記されている
この通りは、かつては遊郭のあったところであった
通りの両側には旅籠屋や茶店が軒を並べていたという

1枚目の写真の道標の先の和風建築は
老舗、うなぎ割烹料理武蔵屋本店である
明治初期の建物とのこと

3枚目は旧街道筋に設けられた休憩所である
水道があって、石のベンチが備えてあった

街道歩きにとってはありがたい設備である


(茨城県古河市横山町)




古河宿・横山町町並み





古河宿横山町の町並みである
ふるい町屋が残されている

上の写真右は手作り味噌の小澤屋
一枚板の木彫りの屋根看板は見事であった
現在の店主は5代目とのこと

下の写真左は大和屋薬局である


(茨城県古河市横山町)




古河市松並





古河宿を出ると松並に入る

旧街道右手に古い石碑があった
「史蹟 ○○道」とだけは読めるが、他は判読できなかった

左手には、洒落た建物がある
元のあすなろ会館で、今はザ・カナルハウスといい
流行のウエディングパークである


(茨城県古河市松並)


塩滑地蔵





旧街道右手の路地の奥に塩滑(しおなめ)地蔵

お堂の横の駕籠の中の皿に盛られた塩を
身体の悪いところに塗ると治るという


(茨城県古河市松並)


下総・下野国境





左に大きなマーケットシティ古河
郊外形の大型複合商業施設で、現在16のテナントが入っているという
駐車場は780台駐車可能とのこと

ここが、現在の茨城・栃木の県境である
かつての下総・下野の国境である

道路標識は茨城県・古河市のみで
何故か、栃木県の標識は無かった

なお、此の辺から松並木が続いていたが
今は地名のみが残されている

古河藩主の永井右近太夫直勝が
中田宿より小山宿までの街道筋に
松を植えたと伝えられている


(茨城県古河市松並)

0805/0807

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略 図

経路青線部 距離1.9km











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