悠々人の日本写真紀行へ移動します

日光道中ぶらり徒歩の旅 22

小山城址〜JR小山駅




小山市・中央町


小山駅前通り、思季彩館





小山宿の中心街を抜けるとJR小山駅前通りにでる
ここで左折し、思川河畔の小山城址に向かう

左側に古民家と石蔵を利用した小山市まちの駅・思季彩館(下写真)

地元小山のブランド品や、特産品、野菜、果物、生花等を販売している
石蔵は展示会やイベント用として開放されている


(栃木県小山市中央町)


国道4号線交差点



現国道4号線(日光街道)との交差点
この左右の道が小山評定所通りとなっている

左手市役所前に小山評定跡の石碑がある

家康が上杉景勝討伐軍を率いてここまで来た時
大坂で石田三成が挙兵したことを知り
評定(会議)を開き、急遽大坂に戻ったところである

関ヶ原の戦いの前に、家康の運命を決する重要な評定であった
映画、ドラマ等で御馴染みの場面となったところである


(栃木県小山市中央町)


小山御殿広場



左手に小山御殿跡

徳川将軍家が日光社参の時に宿泊、休憩用として利用した御殿であった
御殿の造りは厳重で、周囲に濠を巡らし、土塁は二重になっていたという


(栃木県小山市中央町)

小山城址



思川・観晃橋








上の写真右手が小山城址で正面は思川に架かる観晃橋である
遠く見える山は栃木の太平山だ(中写真)

観晃橋は、読んで字の如く、橋の上から東照宮のある日光連山が見えることによる

3枚目写真が日光連山方面を見た写真ではあるが
残念ながら日光連山は見えなかった


(栃木県小山市城山町)

小山城址







思川左岸の河岸段丘上にある小山城
南北朝末期、小山氏の代々の居城であった

小山氏は、平将門を討った藤原秀郷の直系で
下野最大の武士団であった

しかし豊臣秀吉の小田原攻めの際に
北条氏に加勢し、小山氏は没落した

江戸時代になってからは、家康の重臣であった
本多正純が3万3000石(後に5万7000石)で城主となったが
元和5年(1619年)、宇都宮に加増転封となり廃城となった

現在の町割りや寺社の配置の殆どは正純が行ったという


(栃木県小山市城山町)



祗園橋、空濠






城内の空濠に架かる祗園橋

小山城は祇園城とも呼ばれていた

深い空濠と土塁が、かつての小山城を偲ばせるところである
現在は城山公園として整備されている


(栃木県小山市城山町)




大公孫樹



市の天然記念物に指定されている大公孫樹である

樹高15m、目通り6m、枝張り11×12mとのこと

享和3年(1803年)に書かれた文書(日光駅程見聞雑記)に
すでに古木として紹介されている古い公孫樹である


(栃木県小山市城山町)



JR小山駅





小山城を後にして、JR東北本線の小山駅に行く

小山駅は明治18年開業
東北本線(宇都宮線)、水戸線、両毛線、そして東北新幹線の停車駅となっている
また、市街を国道4号線(現日光街道)が南北に縦断している

古代の東山道、近世の日光道中の宿駅で、下野国の南の玄関であった
当に小山は、古代から現在までの交通の要衝となっている


今回はここで、旧日光道中を中断し湘南新宿ラインで家に戻った


(栃木県小山市城山町)
0805/0808

前へ 目次 次へ


略 図

経路青線部 距離1.65km(往復)











悠々人の日本写真紀行

TOP 北海道 東 北 関 東 中 部 近 畿 中国四国 九州他