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日光道中ぶらり徒歩の旅 24

喜沢〜13新田宿




新田宿


喜沢一里塚





喜沢(きざわ)の追分を過ぎると、古い街道が残されている

この辺に、喜沢の一里塚があると資料に出ていたが良く解らなかった
恐らく、下の写真がそうであろう
街道筋左の林の中に、一里塚の形をした丸い丘があった

この辺は、旧日光街道の表示はもとより
一里塚等の史蹟の説明も全く無かった


(栃木県小山市喜沢)


喜沢集落





旧日光街道を更に進むと、新幹線の下の道に出る

この辺は新興の住宅街となっていた


(栃木県小山市喜沢)


13新田宿





ここで、新幹線の下の道から斜め左に入る(上写真)
そして、現在の国道4号線に合流する(下写真)

この辺は日光道中13番目の宿場・新田宿の入口であったようだ
この左手には羽川小学校のある所だ


(栃木県小山市羽川)


旧家と本陣跡






街道に沿って、立派な旧家が散見されるところである

下の写真は、新田宿の本陣(青木家)のあったところ
この門は当時のものとか

新田宿は、本陣1、脇本陣1、旅籠11軒の宿場であった


(栃木県小山市羽川)


羽川薬師堂




街道左手に薬師堂(薬師如来を安置)
衆生の病苦を救うという如来だ

江戸時代中期に建立された由
現在の御堂は昭和60年に再建されたもの


(栃木県小山市羽川)

橿原神社





街道右手に橿原(かしはら)神社

江戸時代までの新田宿の氏神は星宮神社であったが
明治5年、九州の宮崎神宮より勧請し、橿原神社となった

神社の直ぐ背後を、JRの東北本線と新幹線が走っている

明治39年に汽車の飛び火により本殿が焼け
現在のものは、大正3年に再建されたとのこと

なお、旧来の星宮神社と書かれた小さな社が
この左隣に申し訳なさそうに建立されていた


(栃木県小山市羽川)



羽川の石仏群






現国道4号線を、少し進み、潟hーイチ(銅市金属工業)の横に入ったところに
旧日光道中の羽川石仏群がある

寛政12年(1800年)の道標を兼ねた馬頭観世音には「左おざく道」
宝暦2年(1752年)の供養塔には「左おざく・こくふんじ」と刻まれている

おざくは現在の鹿沼市石裂(おざく)のことのようだ
その近くに石裂山(879m)がある

此処が新田宿の出口であった

かつては、この前の細い道が街道であったが
今は宅地となり、道が途中で無くなっている
仕方なく、国道4号線に戻った


(栃木県小山市羽川)




下野市



長かった小山市が終り、次は下野市である

平成18年に河内郡南河内町と下都賀郡の石橋、国分寺町が
合併して出来た、未だほやほやの新しい市だ

日光道中の14番目の宿場・小金井宿のある市である


(栃木県下野市)
0809/0810

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略 図

経路青線部 距離4.04km











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