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日光道中ぶらり徒歩の旅 26

下野・笹原〜15石橋宿




下野

現日光街道



小金井宿を抜けると、下野市笹原に入る
街道右側に自治医大のあるところだ

JR自治医大駅も出来ている
自治医大は仕事で何度も来た所である

しかし、駅の東側(自治医大側)の近代的な町並とは違い
反対側(西側)にある街道筋は、イメージが全然違う光景であった


(栃木県下野市笹原)

旧日光道中







駅入口近くのパチンコ屋の駐車場を横切ると、そこには旧街道が残されていた

1枚目の写真は後ろを振り返った写真だ
正面の建物の背後の道は消失し畑となっている

3前目の写真は、次の石橋宿方面である
農道が真っ直ぐ北に伸びている感じであったが、ここが旧日光道中である

畑の中の一本道であった


(栃木県下野市笹原)

下野・笹原集落







やがて、笹原の集落に入る(1枚目写真)
更に進むと、国分寺と彫られた境界石があった(2枚目写真、左下)

ここから、かつての国分寺村笹原から箕輪に変わる

そして、道はこの先の林のところで、再び消失している(3枚目写真)
仕方なしに、右折し現日光街道(国道4号線)に出る


(栃木県下野市箕輪)

現日光街道








ここで、現日光街道に入る(1枚目写真)

関東丸大食品鰍フ門先に大きな観音像(2枚目写真)がある
ここから旧国分寺町から旧石橋町だ

街道右側に、黒豚とんかつの幟が上がった大きな合掌造りの
レストラン「とんかつ合掌」があった


(栃木県下野市下石橋)

15石橋宿

夕顔橋10体石仏






街道左手に墓所、そして県道352号線との交差点「下石橋北」の手前に石仏群
享保3年(1718)、延享4年(1747)等と刻まれていた

石橋はかんぴょうの特産地であるので、夕顔橋とつけた様だ
そう言えば、旧街道途中にも夕顔畑が目についた

また、この交差点を右折すると、真岡、そして陶器の里、益子となる


(栃木県下野市下石橋)

石橋宿旧家







街道右手の旧家
熟した柿が今にも落ちそうであった

3枚目の写真は、近くで採れる大谷石をふんだんに使った家だ
塀はもとより、倉庫や家の壁まで大谷石で作られていた


(栃木県下野市下石橋)

本町交差点・愛宕神社





本町交差点、此の辺から日光道中の15番目の宿場石橋宿である
本陣1、脇本陣1、旅籠は30軒もあった

石橋の地名は街道東に、かつてあった池上明神に
当時としては珍しい石の橋があったからとのこと

交差点を過ぎると左手に、石橋宿の産土神である愛宕神社がある
天平宝字3年(759年)に創建されたものだ

年表を見ると、九州の大宰府で新羅討伐の準備をしている年である


(栃木県下野市石橋本町)



本陣、脇本陣跡





街道右手の伊沢写真館がかつての脇本陣で
その先にある伊沢茶舗が本陣であった

次の交差点を右折すると、JR東北本線の石橋駅となる


(栃木県下野市石橋)

JR石橋駅前通り








石橋駅前通は不思議な町並みであった

古い家並みのと、グリム童話のおとぎの国を模したモニュメントである
旧石橋町は、ドイツのシュタインブリュッケンと姉妹都市となっている

そして、下野市下古山にはグリムの森が出来ており
ドイツのレッチンゲン庁舎をイメージしたグリム館が建てられている


☆ ☆

今回は、未だ明るいが次の雀宮駅までは6kmあるので
此処で日光道中徒歩の旅は中断し、JR湘南新宿線で帰宅した


(栃木県下野市石橋)
0809/0810

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略 図

経路青線部 距離 5.97km










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