悠々人の日本写真紀行へ移動します

日光道中ぶらり徒歩の旅 27

JR石橋駅〜上三川〜下古山




下野

JR石橋駅前



湘南新宿ラインで、石橋駅に着いたのは9:04であった
日光道中二十一次、ぶらり徒歩の旅の再開である

駅前のグリム童話のモニュメントが朝陽を浴び
眩いほどであった


(栃木県下野市石橋)


石橋駅前通り





石橋駅前通りのお店である

下野市名産のかんぴょう(干瓢、乾瓢)の店には
種々の瓢(ひさご)細工品が並べられていた

特に瓢で作った様々なお面が面白かった

かんぴょうは、日本の生産量の80%を占めているというから
文字通りの下野の特産品である

しかし、江戸時代は関西の栽培が中心であったようだ
そう言えば、広重の東海道五十三次の水口宿(滋賀県)の絵にも
かんぴょうを乾す姿が描かれていた


(栃木県下野市石橋)


開雲寺







旧街道右側にある開雲寺

天応1年(781年)東光寺として開山、文亀2年(1502年)に
この地に移り、江戸時代の慶長9年(1604年)には幕府より寺領7石を賜っている

境内に御殿所が造られ
将軍家の日光東照宮参拝道中の休泊所となっていた

山門の横(3枚目写真)や、寺を囲む土塀には丸や四角の銃眼や矢狭間が設けられている
なお、此処の寺紋は徳川家と同じく葵となっている


(栃木県下野市石橋)


現日光街道










旧街道は現日光街道に吸収されているが
変化に富んだ街道筋である

2枚目は、目を引くパチンコ屋だ
店の名前が、「ジャンジャン」、「バンバン」、「ドンドン」と威勢が良い

3枚目の提灯は味処「かなめ」、アドバルーンには「最強・コラボ」と書いてある

4枚目の写真は、甲冑を着た武将像だ
韓国料理店で屋号「家康本陣」であったが
今は営業していないようだ

次の信号を超えると、下野市石橋から上三川町(かみのかわまち)となる


(栃木県下野市下石橋)

上三川


鞘堂





上三川町には入ると、右手に地名となっている鞘(さや)堂がある

南北朝時代(1380年)、南朝方となった小山義政が宇都宮基綱を破った時
戦死者の鞘を集めて此処に埋め、お堂を建てたという

この時は、基綱の一族三百騎余が全員討ち死にという壮絶な戦いであったようだ

なお、上三川町は明治26年より町制を敷いた古い町である
建長1年(1249年)、宇都宮氏が築いた上三川城のあったところだ


(栃木県上三川町鞘堂)

星宮神社





街道左手に、ひっそりと星宮神社
鞘堂の産土神だ

1枚目の写真は近くの農家である


(栃木県上三川町鞘堂)

下野

北関東自動車道、下古山





ここから再び上三川町から下野市下古山に変わる
境界線が複雑に入り組んでいるところだ

北関東自動車道の下を潜ると
日本橋より24番目の下古山一里塚があるはずであるが解らなかった

会社(高秀土木工業)の敷地内に
一里塚らしい小高い丘があったが標識は無かった(下写真)

氏神が祀ってあり、確認すると古くからある塚とのことであった


(栃木県下野市下古山)



宇都宮

宇都宮・茂原



ここで、下野市から宇都宮市に変わる

次の宿場は日光道中16番目の宿場・雀宮宿となる
良くぞ此処まで歩いてきたものだと一人ほくそ笑んだ


(栃木県宇都宮市茂原)
0810/0811

前へ 目次 次へ


略 図

経路青線部 距離 3.94km










悠々人の日本写真紀行

TOP 北海道 東 北 関 東 中 部 近 畿 中国四国 九州他