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日光道中ぶらり徒歩の旅 30

奥州街道追分〜清住町通り〜JR宇都宮駅




宇都宮宿

清住町通り・上野本家





奥州道との追分を左折する現在の清住町通りとなる
この通りが、旧日光街道である

追分を曲がるとすぐ右側に上野本家がある
現在の株式会社上野である

当初(江戸時代)は油売業としてスタートしたが
副産物の油粕を肥料として農家に販売しながら肥料店として基盤を固めてきたようだ

追分の所にあった本陣は上野家であったので
関係がありそうである

さらに、宇都宮第一のデパートであった「上野百貨店」も名前が上野であった
バブル後の2000年12月に倒産しているが
やはり、上野家の一族であった


(栃木県宇都宮市泉町)


三峰神社



街道左側に三峰神社
右側よりマンションが迫っており、細長い(か細い)境内であった

天保3年(1832年)、武州三峰山(火防の神)より分霊して創建されたのが始まりとのこと


(栃木県宇都宮市小幡)


木戸、琴平神社、桂林寺







1枚目の写真は、旧街道(現清住通り)が枡形になっている
この辺が、宇都宮宿の日光方木戸があったところだ

この枡形の右手に琴平神社(2枚目写真)と桂林寺(3枚目写真)がある
琴平神社は、四国の金比羅山を分霊創建されたものだ

桂林寺は前述の蒲生君平の墓や戊辰戦争戦死者の墓がある
この寺の前辺りが、宇都宮宿の出口であった


(栃木県宇都宮市清住)


旧日光街道・清住






旧日光街道沿いに或る旧家

下の写真は器と工芸品の店、食と空間の創造する店「たまき」とある
ここで新しく出した「たまき最中」が評判とのことであった


(栃木県宇都宮市清住)


新里街道追分



新里街道の追分である
新里街道は、写真の左側である

宇都宮から今市方面へ向かう道で、日光街道の杉並木を通らないバイパス的な道である

今回は、この先の上戸祭のバス停、長岡街道入り口まで歩き
旧街道歩きを中断して、バスでJR宇都宮駅に戻った


(栃木県宇都宮市松原)


宇都宮二荒山神社





JR宇都宮駅の西側にある二荒山神社に立ち寄る

延喜式内社で、下野国一宮である
宇都宮の語源となった神社だ

曰く、いちのみやが転訛して宇都宮となった説と
中世の奥州攻めの時、武将がここで祈願したことから
討つの宮が宇都宮になったとの説
二荒山の神の現宮(うつつのみや)が転訛した等多数の説がある


(栃木県宇都宮市馬場通り)


宝蔵寺、およりの鐘



田川の麓にある宝蔵寺

宇都宮氏の寄進と伝わる鐘門の鐘は
およりの鐘と呼ばれ、市の指定文化財と成っている

身分の高い人が訪れた際に、鐘をつくことからおより(お寄り)の鐘と呼ばれるようになった由


(栃木県宇都宮市大通り)


田川・宮の橋






田川に架かる宮の橋より南側を見た写真である(1枚目)
この橋の一つ北側の橋が旧奥州街道に架かる幸橋である

下の写真は、宮の橋を渡って宇都宮駅方面を見たものだ
駅は直ぐ傍である


(栃木県宇都宮市大通り)



JR宇都宮駅前






駅前の宇都宮餃子館である
宇都宮に来て、名物の餃子を食べないわけにも行かないので
この店に入り、餃子と生ビールで、今回の街道歩きを締めくくった

疲れており、腹も空いていたせいか、餃子もビールも旨かった


(栃木県宇都宮市駅前通り)




JR宇都宮駅








JR宇都宮駅は明治18年に開業している
新幹線の停車駅で、又JR日光線の始発駅でもある

駅前の店で、餃子とビールで連れと打ち上げをした後
宇都宮駅より湘南新宿ラインに乗り帰宅した

電車の中では、正体も無く眠り込んでしまった・・・・


(栃木県宇都宮市駅前通り)

0810/0811

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略 図

経路青線部 距離 2.93km+1.78km











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