18徳次郎宿
下徳次郎
大谷道追分をすぎると、日光道中18番目の宿場徳次郎宿(とくじら)に入る
此処は下徳次郎で、バス停も下徳次郎となっていた
日光の方から順に上、中、下徳次郎宿と3宿に別れていた
合計すると本陣は3軒、脇本陣は4軒、旅籠は72軒と大きな宿場(合宿)であった
徳次郎は現在では読みが「とくじろう」であるが、旧宿場は「とくじら」であった
今でも地元の人は「とくじら」と呼ぶ人が多い様だ
地名は奈良時代に、日光に勢力を持つ久次郎(くじら)一族が
日光二荒神社より分霊し、智賀郡神社(後述)を創建した時に
日光の久次郎に対し、外久次郎(そとくじら)と称したのが始まりで
後に、徳次郎(とくじら)の転訛したようだ
街道の両側には、古いが格式の或る家が目立った
また、大谷石で作られた倉が多かった
3枚目の写真は富屋小前の歩道橋である
(栃木県宇都宮市徳次郎町)
薬師堂
街道左側の路地奥に赤い屋根の薬師堂
傍らに石仏3体
右の馬頭観音には「左氏家、白沢道」と刻まれている
嘗ては道標も兼ねていたようだ
(栃木県宇都宮市徳次郎町)
中徳次郎
徳次郎の交差点である
此の辺が、徳次郎宿の中心、中徳次郎であった
この辺に本陣と脇本陣があったという
格式の或る民家や大谷石作りの倉庫や塀が目立った
(栃木県宇都宮市徳次郎町)
智賀都神社
大きな2本の欅が遠くから見える智賀都(ちかつ)神社
宝亀9年(778年)、日光三社(二荒神社祭神)を分霊して建てられたものだ
徳次郎町6郷(西根・門前・田中・上町・下町・中町}の鎮守である
社名は当時の地名、千勝森(ちかつのもり)からきているようだ
大欅は、県の天然祈念物に指定されている
樹齢700年、樹高40mとのことで
「長寿の夫婦欅」と命名されている
(栃木県宇都宮市徳次郎町)
徳次郎六本杉
現在の国道日光街道の道の中央に徳次郎の六本杉があった
今は代替わりして、小さなものであった(1枚目写真)
街道右手に田川の流れているところで(3枚目写真)
見事な河岸段丘となっている
田川は日光市七里の低山地を源流として
茨城県の結城市、筑西市の堺で鬼怒川に合流している
鬼怒川の最大支流となっている川だ
(栃木県宇都宮市徳次郎町上町)
上徳次郎・畑野橋
徳次郎の六本杉を抜けると、小さな川に架かる畑野橋(1枚目写真)
この辺が上徳次郎宿であった
右側に、由緒のありそうな棟門の家があった(2枚目写真)
かつての脇本陣があったところとか
道路を挟んで反対側に本陣があったという
この少し先で徳次郎町は終り、六本木町に入る
次は日光道中19番目の宿場・大沢宿である
(栃木県宇都宮市徳次郎町上町)
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