19大沢宿
宇都宮、日光市境
宇都宮市上小池と日光市(旧今市市)山口の市境である
長かった宇都宮の市域を抜け、今回のゴールのある日光市に入った
と言っても、ここで日光市と言うのはどうもピンとこない
つい最近までは今市市であった
平成18年3月に日光市と今市市、足尾町、栗山村、藤原村等が
合併し、日光市になったばかりである
日光街道、日光例幣使街道、会津西街道の集まる交通の要で
谷口集落の宿場町、市場町として古くから発展してきた今市市が
消えるのは寂しい気がする
(栃木県日光市山口)
大沢・杉並木、並木寄進碑
大沢の杉並木に入る
この区間は江戸時代と同じ砂利道であった(上写真)
2枚目の写真は並木寄進碑である
日光の杉並木は、松平正綱、信綱父子が
寛永2年(1625年)から20数年掛けて、20万本余りの杉苗を植え
東照宮に寄進したものだ
それが、360年経った今も、計37kmにもなる見事な並木道として残されている
また左の石柱には特別史跡日光杉並木と彫られてあった(2枚目写真)
3枚目の写真は大沢の杉並木である
ここは、国道はバイパスとなっているため殆ど車が通らない杉並木となっている
(栃木県日光市大沢)
19大沢宿
大沢の杉並木と国道が合流するところである
ここが、日光道中19番目の宿場・大沢宿のあったところだ
大沢宿は本陣1、脇本陣1、旅籠19軒の宿場であった
此処まで来ると、残りの宿場は今市宿、鉢石宿の二つである
もう少しで、日光道中21次も上がりである
なお、大沢の地名の由来は、鎌倉時代に源頼朝が
この地を家来に恩沢(おんたく)として与え、開墾居住させたのが始まりとのこと
当初は恩沢(おんたく)村であったが、「おんさわ」となり、大沢(おおさわ)村と転訛したようだ
(栃木県日光市大沢)
大沢一里塚、延命地蔵尊
江戸・日本橋より32番目(128km)の大沢一里塚だ
この先から、水無となるので、水無一里塚とも呼ばれていたようだ
そして、山口の出口付近、左側に延命地蔵尊と石仏5体がある
この先は水無と変わるところだ
写真は、増感で明るく撮れているが、初冬の4時半で、辺りが暗くなったので
街道歩きを中断して、この先の下水無のバス停より、宇都宮駅に戻った
駅前で、前回とは違う餃子店で、ビールと餃子で打ち上げを行い
湘南新宿ラインで帰宅する
(栃木県日光市大沢)
今市
東武日光線、下今市駅
今回は、北千住より東武日光線で下今市駅まで来た(9:05着)
JR日光線経由に比し、運賃が極端に安いのには驚いた
ここから国道に出て、関東バスで前回の下水無バス停まで行き
街道歩きの再開である
(栃木県日光市今市)
水無
水無の里、杉並木
下水無のバス停に着いたは朝の9:30であった
今日は日光道中の最終コースでゴールの日光・神橋を目指す
前回と違って、雲一つ無い快晴であった
水無の里(1枚目写真)の名主の家に
梨の木があり、水気の多い梨がなるので水梨と呼ばれた説と
水利が悪い土地から水無と呼ばれた説と、二つの説があるようだ
目の前の道路標識には(2枚目写真)
国道119号、日光街道とあり、日光まで13kmと書かれている
もう一息でゴールとなる
バスを降りて、水無の集落を抜けると、すぐ杉並木となった
(栃木県日光市水無)
水無の杉並木
水無の杉並木から右側(東側)に出てみると(2枚目写真)
目の前に雪を被った日光連山が見えた
左より男体山(2484m)、大真名子山(2375m)、小真名子山(2323m)
女峰山(2483m)、そして赤薙山(2010m)の山々である
(栃木県日光市水無)
森友
下森友交差点
杉並木が一時国道と合流するところが下森戸である
真新しい大谷石で出来た倉がまぶしいほどであった
今でも、大谷石は貴重な建材として重宝されているようだ
この辺から正面に日光連山が見え隠れしている
(栃木県日光市森友)
来迎寺、森友杉並木
森友の集落右側に来迎寺
永正14年(1517年)の開基とのこと
そして森友の杉並木が鬱蒼としている
車が殆ど通らない、快適な道であった
(栃木県日光市森友)
七本桜
七本桜一里塚
森友の杉並木は、大きなものばかりであった
3枚目の写真は七本桜の一里塚である
この先から地名は日光市七本桜となる
かつて七本の桜があったからであろうか、洒落た地名である
次は、日光道中20番目の宿場今市宿となる
(栃木県日光市森友、七本桜)
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