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日光道中ぶらり徒歩の旅 36

日光杉並木公園〜瀬川杉並木




日光・瀬川

日光杉並木公園





今市宿を抜けると、瀬川に入る
再び鬱蒼とした杉並木が続いている

その杉並木に沿って、細長い杉並木公園が出来ている

下の写真は、公園入口にある重連水車だ
直径4.5m、幅80cmで、2m離れて同じ水車が設置されている
1箇所に2連にすることにより動力アップしている由

今市は今でも水車を利用して
名産の線香の粉を練っているとのことであった


(栃木県日光市瀬川)


朝鮮通信使、今市館跡





1枚目の写真は、朝鮮通信使の今市館があったところだ

朝鮮通信使は、江戸時代に12回来日している
生使、副使、従事官を含め、約200人の行列であった

一行はここで宿泊し、東照宮の参拝を行った由

目の前には日光連山が見える景勝地である
手前を走っているのは東武日光線だ


(栃木県日光市瀬川)


水車





杉並木に沿って、水車が設置されている
快適な遊歩道となっている

この先で、東武日光線を渡り、反対側に行って見た


(栃木県日光市瀬川)


雪を被った日光連山








目の前に雪を被った、見事な日光連山が聳えている

1枚目の写真が男体山(2484m)、2枚目が大真名子山(2375m)、小真名子山(2323m)
3枚目が女峰山(2483m)、赤薙山(2010m)である

左から順番に撮影したものだ


(栃木県日光市瀬川)


日本の水車








再度、杉並木公園に戻る

日本の水車が設置されている
日本にある水車の形状は約90種もあるとのこと
その殆どが木製で、一部金属製のものもある

ここには、直径10mのものから、60cmまでのものを集め
全部で14基設置されている


(栃木県日光市瀬川)



報徳仕法農家と名主の家





1枚目の写真は、二宮尊徳の報徳仕法農家を復元したものだ
報徳庵と呼ばれ、報徳蕎麦が美味いとのことであった

2枚目は名主の家(旧江連氏宅)を移築したものである


(栃木県日光市瀬川)


如来堂(大日如来)





瀬川の杉並木に復帰する
ここは、車は通行止めで、昔のままの並木道となっている

杉並木の左側に如来堂(大日如来)があった


(栃木県日光市瀬川)


瀬川の杉並木






瀬川の杉並木は、昔のままで、車は通行止めとなっている区間だ

両側に、鬱蒼とした大きな杉が、綺麗に保存されているところである
杉の幹には、オーナーの住所と名前が書かれたプレートが付いている(2枚目写真)

貴重な文化遺産である日光杉並木を後世に残すために
杉の根を保護するためのポカラ工法等の保護事業が実施されている

この保護事業は日光杉並木オーナー制度による運用益や
杉並木保護のために寄せられた寄付金
日本中央競馬会や日本緑化センター等の支援を得て行われているのだ

貴重な文化遺産を守るために、通行料(又は募金でも)をとっても良いくらいである


(栃木県日光市瀬川)


砲弾打込杉






戊辰戦争の時、日光に拠する幕府軍を攻撃する際
前哨戦がここで行われ、その時の砲弾が杉の木の幹に当たり
削り取った跡とのことである(1枚目写真)

ここを過ぎると、日光市野口に入る
次の宿場、鉢石宿が近くなってきた


(栃木県日光市瀬川)
0812/0812

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略 図

経路青線部 距離 2.4km











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