悠々人の日本写真紀行へ移動します

日光道中ぶらり徒歩の旅 37

日光・野口〜東武日光駅




日光・野口

野口杉並木



日光市野口の杉並木に入る
今までは旧今市市であったが、ここから旧日光市である

日光道中21次のゴールが、刻一刻と近くなってきた


(栃木県日光市野口)


野口薬師堂







薬師如来を本尊とした青雲山蔵寺の跡
今は小さなな薬師堂が日光連山を背にして建っている

なお、ここの地名は日光の方から見て
野原の入口であったことから野口と呼ばれるようになったようだ

3枚目は野口池で釣堀となっている


(栃木県日光市野口)

日光・七里

並木太郎







1枚目は並木太郎と名付けられた巨木
日光杉並木の中で一番大きな杉で、周囲5.3m、樹高38mとのこと

高さでは他の杉と比べて同じように見えるが
形が美しく、端正な姿が並木太郎と呼ぶに相応しいとの説明あり

2枚目は銀杏杉と呼ばれている
杉の根元が、銀杏の葉の様に広がっており
根張りの幅が8m余ある

この雄大な根張りがあれば樹木ばかりで無く
大丈夫と言うことで「人生杉」とも呼ばれているとか

根の傍に多数の石仏は置かれていた

3枚目は、明治天皇七里御小休所跡である


(栃木県日光市七里)

日光・宝殿


志渡渕川






宝殿の集落

2枚目は、筋違橋より志渡渕川の上流側をみた写真
大谷川の支流である

芭蕉がこの橋の袂から志渡渕川沿いの小道(今は消滅)を通り
瀬尾、川室を抜け、日光北街道の大渡、玉生(芭蕉宿泊地)を経て
奥州街道の矢板に抜けたようだ

わざわざ間道を選んだ理由がいろいろ取り沙汰されているが
今回は割愛する


(栃木県日光市宝殿)


異人石、JR日光線








街道左側に異人石(1枚目写真)
明治になり、一人の外人が石屋に頼み、この石を座りやすくしてもらい
毎日のようにここに座り、杉並木を眺めていたことから
異人石と呼ばれるようになった

我々も、街道沿いの石に腰を下し休憩したが
往時と違い、誰一人通行する人はいなかった

休憩の後、緩い上り坂を登ると目の前に
JR日光線のガードがあった

JR日光駅がもう直ぐである


(栃木県日光市宝殿)



JR日光駅







目の前が開けてきた
ここで旧街道は現国道と合流である

右手に、JR日光線の終点の日光駅(3枚目写真)である
上野から146.4kmである

とうとう歩いてここまで来たという感じであった


(栃木県日光市相生町)


東武日光駅





そして、隣接して西側にある東武日光駅である
何度か電車では来たことがあるので、懐かしい駅舎であった

なお、浅草ー東武日光間は1320円であるが
JRの上野ー日光間は2520円で、こんなに差があるとは思わなかった

日光駅から、日光道中の最後の宿場・鉢石は直ぐである
いよいよゴールも真近かである


(栃木県日光市相生町)
0812/0812

前へ 目次 次へ


略 図

経路青線部 距離 4.13km











悠々人の日本写真紀行

TOP 北海道 東 北 関 東 中 部 近 畿 中国四国 九州他