21 鉢石宿
龍蔵寺
東武日光駅より旧街道を日光道中最後の宿場・鉢石宿に向かう
正面に男体山がくっきり見えた
2枚目の写真は龍蔵寺だ
畠山重忠の子重慶の開基とのこと
重慶の墓や、戊辰戦争で戦死した芸州範士墓等がある
(栃木県日光市松原町、御幸町)
鉢石宿本陣跡、観光情報センター
この辺が鉢石宿の中心であった
2枚目の写真は、鉢石宿の入江本陣のあった所と言う
鉢石宿は本陣2、旅籠19の宿場であった
ここで、泊まって東照宮参拝をするのが普通であった
2枚目の写真は、街道を挟んで反対側にある日光郷土センターだ
日光の自然や歴史の紹介と、日光彫りや下駄等の伝統工芸品が展示してある
(栃木県日光市下鉢石町)
大横町、鉢石宿町並み
1枚目写真は街道右の横丁で、大横町といわれていた地域である
東照宮に奉仕する公女達が多く住んでいたという
2枚目は名産日光湯波(ゆば)の製造販売店ふじやで
創業は明和元年(1764年)ととのこと
3枚目はまんじゅうの湯沢屋で創業は文化元年(1804年)という
共に江戸時代から続く老舗である
(栃木県日光市中鉢石)
高野本陣跡
この駐車場の奥辺りに、もう一つの本陣(高野本陣)があったという
下の写真は、「日光のおいしい水」飲み場だ
全国のおいしい水の中でも、特に美味しいとのこと
(栃木県日光市中鉢石)
史蹟、鉢石
ここで、やっと鉢石(はついし)の文字が出てきた
上は、コーヒー処日光鉢石宿となっている
下は「史蹟鉢石」の案内標識
鉢に似た石があったので鉢石と呼ばれるようになった由
また、勝道上人が日光山を開いた時
ここに托鉢用の鉢を置いて休憩したことからとの説もあるようだ
(栃木県日光市中鉢石)
観音寺
上は大谷石で作られた旧家
下は、観音寺参道である
観音寺は、弘仁114年(820年)、空海(弘法大師)の開基という
境内から、鉢石宿が一望できるところだ
(栃木県日光市上鉢石)
日光橋、神橋
そして、とうとう日光道中のゴール、大谷(だいや)川に架かる日光橋が見えてきた
2枚目写真は、河畔に立つ天海大僧正の銅像である
家康のブレーンとしても知られ
東照宮の創建に尽くした「日光山中興の恩人」と説明にある
そして3枚目が日光橋の少し上流に架かる神橋である
神橋は山口県の錦帯橋、山梨県の猿橋と日本三大奇橋の一つに数えられている
国の重要文化財に指定され、世界遺産にも登録されている橋である
この橋を渡って(現在は有料)、東照宮の参道に入る
もっとも、江戸時代この橋は、一般の人は通行禁止であった
(栃木県日光市上鉢石)
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