悠々人の日本写真紀行へ移動します

旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 6

19氏家宿〜JR氏家駅




さくら市・氏家

お伊勢の森





勝山城を抜けると、氏家宿はもうすぐだ

街道左側には、高平山が迫って見える(上写真)
ピークは左から、西平岳(1712m)、中岳(1728m)、釈迦ヶ岳(1795m)
剣ヶ峰(1540m)、そして大入道(1402m)と呼ばれている

広い田圃の中の一本道を歩いていくと、左手にお伊勢の森がある(下写真)
伊勢神宮の内宮・外宮を勧請し建てられた神社だ

あたり一面が広大な森であったことから「お伊勢の森」と
呼ばれるようになったが、今は形ばかりとなっている

中には天照皇大神宮と彫られた大きな石碑が建っていた


(栃木県さくら市上氏家)


JR東北本線踏切





やがてJR東北本線の踏切を渡る
この踏切名は、「旧奥州街道踏切」と書いてあった

この道が旧街道だ
今は、車も人も殆ど通らない道である

2枚目の写真は氏家駅方面を見たものだ
遠く、氏家の街が見えてきた


(栃木県さくら市氏家)


追分・道標



やがて追分となり、氏家宿はここで左折する

古道標には「右江戸道、左水戸 かさま 下だて 下づま」と刻まれている
隣の馬頭観世音は、天保9年(1838年)建之と彫られてあった

ここまで来ると、奥州街道19番目の宿場・氏家宿は直ぐである


(栃木県さくら市氏家)



19氏家宿





氏家の交差点が見えてきた(上写真)

この交差点の先左側にかつては本陣があった
そして信号先右側には脇本陣であった伝馬屋があったところだ
今は黒須病院のある所らしい(上写真右奥の白いビル)

氏家宿は慶長2年(1597年)、勝山城が廃城になった時
旧臣の一部「36人衆」が住み着いたのが始まりとか

阿久津河岸が近くにあり、又奥州街道、会津中街道(氏家〜三斗小屋〜会津)
会津西街道(大内〜会津)、原方街道(高久〜白河)の街道が集まる要衝であった

本陣1、脇本陣1、旅籠は35軒
奥州道中(宇都宮〜白河)では一番繁栄した宿場であった


(栃木県さくら市氏家)


寛方・タゴール平和記念公園




街道右手にある寛方・タゴール平和記念公園(上写真)
氏家は日本画の巨匠荒井寛方の生誕地だ

寛方は、アジアで初のノーベル文学賞を受賞した
インドの詩聖ロビンドロナト・タゴールと親交が深く
タゴールの招きで日本画の教授としてインドにも行っていた

ここは日印文化交流に貢献した二人を顕彰して作られた公園である

このタゴールは、旧中山道を歩いている時、碓氷峠頂上付近に
銅像が設置されているのを思い出した

(参考)タゴールの胸像  旧中山道軽井沢宿


(栃木県宇さくら市氏家)


西導寺






今回はここで、旧街道歩きを中断してJR氏家駅に向かう
途中左側にある西導寺は氏家家の菩提寺であった

建久2年(1191年)に氏家家の始祖で勝山城を築いた
宇都宮公頼が開山したという

本堂は天明4年(1784年)に再建されたものだ
延宝元年(1673年)に建てられた弥勒堂と共に
市の有形文化財に指定されている


(栃木県さくら市氏家)


eプラザ・参番館、旧米蔵






氏家駅前通りの大谷石で出来た古い米蔵を利用した
さくら市のインキュベータ施設「eプラザ参番館」

低料金で施設の賃貸や経営ノウハウを提供しており
中心市街地の活性化が狙いとの事

現在、4店舗が入り営業を開始していた


(栃木県さくら市氏家)


JR氏家駅






1枚目の写真はJR東北本線氏家駅
2枚目は駅前東口広場だ

氏家駅は明治30年に開業している
東口広場にはタイル張りでアクセントを付けた珍しい広場が出来ている
バスケットのゴールや、ベンチが設けられていた

ここで、電車の待ち時間を利用して休憩した
持参のウィスキーが旨かった

痛い足を引きずっての無事の到着であった
踵の創を庇って歩いたせいか、両足底に大きな豆が出来
右親指の爪がうっ血して黒くなっていた


(栃木県さくら市氏家)
0902/0904


前へ 目次 次へ


略 図

経路青線部 距離 2.74km











悠々人の日本写真紀行

TOP 北海道 東 北 関 東 中 部 近 畿 中国四国 九州他