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旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 16

那須塩原・野間〜鍋掛十文字





那須塩原

野間・旧奥州街道





那須塩原市(旧黒磯)野間(のま)に入る
如何にも高原を歩いているような感じとなる

野間は、芭蕉が黒羽の余瀬から那須へ向かう途中
借りて乗ってきた馬を返したところの様だ

芭蕉に同行した曽良の日記に
「馬ハ野間ト云所ヨリ戻ス」と記されている

そして、街道を鍋掛まで行き、そこで左折して那須の高久へ向かっている
暫くは、芭蕉の歩いた道を歩くことになる

奥の細道によれば、当時は野原の中を真っ直ぐな道が縦横に走っていたようだ
今でも、辺りは広々としており、実に爽やかな道であった

左手には姿の良い那須連山が良く見えるところであった
中央のピークが茶臼岳(1915m)である


(栃木県那須塩原市野間)


大野牧場





右手に大野牧場
この先には、競走馬の生産で知られたなべかけ牧場等がある

この辺は、古代の大野郷、大野室で、大野一族の支配地であった
その後、羽田領野間村となった経緯がある

大野牧場は、所縁の人の経営であろうか


(栃木県那須塩原市野間)



八溝山



右手に八溝山(やみぞさん、1022m)が見えた

八溝山は茨城県と福島県の県境にある山で
茨城県の最高峰である

奥州街道を歩いていて始めて見えた


(栃木県那須塩原市野間)



樋沢神社







樋沢地区に入る

左手に樋沢神社(八幡宮)がある
大きな自然石が二つ鎮座している

「八幡太郎義家愛馬馬蹄の石」と、「葛篭(つづら)石」という

後三年の役(1083年〜)で、源義家が奥州に向かう途中、
源氏の氏神であるこの神社の坂を馬で一気に駆け上ったところ
勢いの余り、石に蹄の跡が岩に付いたという

葛篭石の方は、形が似ているから義家が名付けたという
なお、葛篭とはつずら藤で編んだ着物を入れる箱型の籠のことである


(栃木県那須塩原市鍋掛)


愛宕峠、鍋掛一里塚





愛宕峠の切り通しの中腹に鍋掛一里塚がある

江戸より41番目の一里塚である
一里塚は、道路拡張で少し移動(西へ11m)されたようだ

道の幅を広げた為、掘り下げられ
元の街道よりは低い道路となっている


(栃木県那須塩原市鍋掛)


鍋掛神社碑





一里塚の隣にある、鍋掛神社碑
この奥の天神森に鍋掛神社が鎮座している

碑文によると鍋掛村の守護神であり
古くからあった愛宕神社に、温泉神社、鶏鳥神社を合祀して
昭和29年に建て直し、鍋掛神社となったとのこと


(栃木県那須塩原市鍋掛)


鍋掛十文字




鍋掛十文字である
ここが奥州街道23番目の宿場・鍋掛宿の入口となっている

この十文字(交差点)を左折すると、JR黒磯駅である
距離で、4.9kmである


(栃木県那須塩原市鍋掛)
0904/0906


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略 図

経路青線部 距離 2.93km










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